10/21 山崎文化会館@兵庫県宍粟市でブラックボトム
10/21 山崎文化会館@兵庫県宍粟市でブラックボトム
ホテルにインしてひと休みしてから会場の山崎文化会館へ。
山崎文化会館でのライブは今年で10年目。
私は1回目と3回目来てないから8回目ー。
毎年恒例のワークショップ。
皆さんおなじみの顔ぶれで安心感強い。


ライブは満員御礼。
地方のホールライブはお客さんがあまり入ってないなーと感じることもあるが、宍粟のライブは毎年満員なので福岡さんすごいなーと毎年思う。
毎年決まった時期にやってきて、アウトリーチとライブをしているからお客さんが温かい。
ライブが始まり、ブラックボトムが客席後方からマーチングで登場すると、みんなふわっと笑顔になる。
きっと私も同じ顔でみているんだろうなーと思う。

宍粟のライブのお楽しみは地元の太鼓の人たちとの共演。
今年は篠笛の方もおられて、おっ⁉︎と思う。
ワークショップでテナーを持って行くのが苦になることがわりとあるのだ。
今日みたいに雨が降ったりすると特に。
どうしてものときはピアニカで行ったりするけど、篠笛いいなー。
ポケットにいれられるもんなー。
と篠笛への憧れを募らせるが、まぁサックスまともに吹けるようになってから言えってことですよね。

宍粟のもう一つのお楽しみは終演後のサイン会。
長い長い列ができて、中高生にキャーキャー言われたり、握手や写真をねだられているところを見て、微笑ましく思ったり妬いたりするのが私の年に一度の楽しみ。
今年もしっかり堪能しました。
今から来年が楽しみだなー。
10/14 クロスランドおやべ@富山でブラックボトムと綾戸智恵さん〈2〉
10/14 クロスランドおやべ@富山でブラックボトムと綾戸智恵さん〈2〉
10/14 クロスランドおやべ@富山でブラックボトムと綾戸智恵さん〈2〉
綾戸さんとブラックボトムのライブはMCも楽しみ。
綾戸さんとステージ上で話しているMONKYはいつもよりもとても素敵に見えるし、綾戸さんの話術もすごいし。
おもしろおかしく話されていることの中に真実があるので、いつも聞き逃すまいと思っている。
本日最初の名言は、本当に聞き逃してしまいそうなくらい、さりげなくサラッと発せられた。

「歳をとることは憧れでもあるんです」

そう!そうなの綾戸さん!
私は自分の席で激しく膝を打った。
うまく言えないけど、絶対にそうなんだよ。
介護と真っ向からぶつかっておられる綾戸さんはさすがだと思う。
私がふんわりと心の中で思っていた形のないものを、こんなにサラッと言葉にできるなんて。
すばらしい!すばらしい!と感慨収まらぬ中、また名言発動。

「ブラックボトムよりうまいバンドはいっぱいいるんです。でもなぜか彼らとやりたくなる。なぜなら、彼らとやるとハッピーになるから」

さっき10年に一度くらいの名言繰り出したと思ったのに、直後にまたすごい名言出ましたね。
そうなの。私がどうして山口県から富山県まで来たかと言うと「彼らをみるとハッピーになるから」に尽きるのだ。
そしてまた観たくなって、次のライブ、次のライブと追い求めて生きている結果が今の私なのだ。
私が出逢った頃と、そして綾戸さんが昔神戸で一緒にやっていた頃とも、メンバーはだいぶ変わってしまったけれど、このハッピーとピースフルはいつまでも消えず、むしろ増すばかり。
これって奇跡のような気もするし、至って当たり前のことのようにも思える。

そしてやっぱり今日も「来てよかったー」と思いながら帰る私であった。

(画像は小矢部で出逢ったかわい子ちゃんたちです)
10/14 クロスランドおやべ@富山でブラックボトムと綾戸智恵さん〈1〉
今日は富山県小矢部市のクロスランドおやべでブラックボトム。
富山までまさかの日帰りー。
土曜日なので新幹線そこそこ混んでるだろうなーとは思っていたが、まさかの新大阪まで座れず。
広島からは座れるかなと思ってたのに。
こんなの久々。
広島から子どもさんを抱っこして乗ってきたお父さんが「しまった。なめてた」と言っていたけどまったく同感です。
新大阪で乗り換えてサンダーバードに。
めったに乗らない電車はテンション上がるわー。
最寄りの石動駅から30分強テクテクと歩いてクロスランドおやべへ。
電車の中で重大なことに気づいたのでセブンイレブンを探しながら歩いていたのだが、意外とすぐにあって安心。
無事に来月の上田のチケット発券。
今日は楽器もないし、日帰りだから荷物も少ないしで、快適にお散歩気分でクロスランド到着。
致し方ないことなのだが電車の都合でものすごく早く着いたので、併設された喫茶コーナーに入る。
きれいで若めな感じに仕上げておられるけどおそらく同世代と思われる気さくなママさんが「今日は綾戸智恵さを観に来たんですか?」
まぁ、それもあるけどどっちかと言えばブラックボトムだと説明する。
「へー、そうなんですかー?」とポスターを確認される。
どうやらブラックボトムのことは綾戸さんのバックバンド的認識だった様。
いつどうやってブラックボトムを知ったのかと聞かれ、それ話すと長くなるよーと思っていたら、なんでだったか忘れたけどフグの話になり、うっかり山口県民だとカミングアウトしてしまう。
「えー!山口県からわざわざ来たんですか?この人たちを観に?」とママさんたいへん盛り上がる(笑)
それからは遠征あるある。
「え?じゃあこの人たちを観にいろんなところに行ってるの?あっちもこっちも?」
「じゃあこの人たちの追っかけ?みたいな感じ?」
ええ、まぁそんな感じです(笑)
そして「じゃあ『富山まで来てよかったー!』って思えるようないいコンサートになるといいですね」と言っていただく。

近くでも、遠くでも、この22年間「来てよかったー」と思わなかったことはないんですよ」と心の中で答える。

とっても気さくで人懐っこいママさん。
ブラックボトムがいなければお逢いすることもお話しすることもなかっただろうなぁと思う。
でもわりと日本中にそんな人がいて、一期一会のつもりでいたのに次にブラックボトムのライブに行ったときまたお逢いできて、いつの間にかおなじみさんになっていたりもするので、本当にご縁って不思議だなと思う。
とりあえずまたクロスランドおやべでライブがあれば「また山口県から来ましたよ」と立ち寄りたいなー。
10/9 菊陽町図書館ホールでブラックボトム
10/9 菊陽町図書館ホールでブラックボトム
10/9 菊陽町図書館ホールでブラックボトム
はい、朝5時にホテル出発ー!
これから530km、熊本県は菊陽町までの長い長いドライブ。
昨日は入眠効果のあるアロマキャンドルを焚いたり、眠剤を飲んだりしてグッドスリープだったのでシャッキリと旅のスタート。
インター降りるまでは絶好調だったけど、インター降りてからナビたんの気まぐれに遭いグルグルさせられる。
そろそろ集中力も限界な頃、なんとか到着ー。

着くや否やワークショップ。
スタッフさんや、ワークショップ参加者におなじみの顔が見えてうれしい。
でもこの辺りあまり記憶にない(笑)
コンサートではMONKYがMCで軽くすべった後にパラパラと拍手が起こり、そのときに言った「あ、パチパチ大丈夫です」がけっこう好きでした。
そして誓哉くんが全般的にカッコよくて危うく好きになるところやったぜ。
危ない危ない。
そして盛大にリバウっていたバンビちゃんが若干細面になっていたような。
細けりゃ細いでかわいいけど、ぶーちゃんのときも決して嫌いではないのよ。

そして、くら寿司の予約をしてるから、と追い立てるようにメンバーのお見送りをしてからペコ腹を抱えてくら寿司へ。
隣スシローじゃん。しまった!
スシローの方がよかったかもー、と思いつつも、予約してるしね。
でもくら寿司もおいしかったですよ。
10/8 リトルマルディグラ@松江でブラックボトム
今日は毎年恒例のリトルマルディグラ。
でも今日は夜勤明けなので途中参加なのだ。
どんなに慌てて行っても昼のライブやパレードには間に合わないので夕方のライブを目指してのんびり安全運転で。
そうは言っても夜勤明けでのロングドライブなので、まあまあ命からがら松江入り。
パレードとっくに終わってると思われる時間なのに、パレードの最後に集合する地点にみんなが溜まっているのを車窓から目撃!
どうやら押したらしい。
もう少し急げばよかったー!

その後、清美ちゃんと合流し、メンバーとも顔を合わせたりして「お前は三宅健か!」とツッコみたくなるようなステキなこともあったりして、ライブを見る前から疲れた身体に沁み入りまくる。

ライブでの見どころは「IKO IKO」のANTONコーナー。
あまりにもしどろもどろで笑う。
そして今日はバンビちゃんのマイクの入りがよく、バンビちゃんの歌声がとてもよく聴こえたので、録画させていただき個人で繰り返し楽しんでいる次第でございます。

けっこうたいへんだったけど来てよかったー。
そして「たいへん」はまだ明日も続くのでした。
9/23 九重文化ホールでブラックボトム
9/23 九重文化ホールでブラックボトム
今日は大分の九重文化ホールで1ヶ月ぶりのブラックボトム。
ナビに遠回りをさせられたようでワークショップに若干遅刻する。
(おこしかけを堪能しすぎた説もあり)
もう始まっていたのでワークショップに見学のみにする。
大丈夫です。私たち本番一発でOKなんで。
低い方のレベルでの話であるが。

自由席なので並んでいるとユウタくん。
混浴の温泉に行ったと聞いたので話を聞く。
混浴で一緒になったご婦人たちが今日観に来てくれているそうだ。
ブラックボトムのこういうところとても好き。
事情聴取に熱が入りすぎて、塚ちゃんのドラマのことを言うのを忘れてしまった。
次に逢えるのは初回放送の翌日だー。やってもうた。

今日辺りからそろそろセットリスト変えていくとても聞いていたけど、今日はいつも通りだった。
久しぶりのブラックボトムが沁みに沁みてかなり序盤から逢えなかった間の走馬灯がぐるぐる回る。死ぬのでしょうか?
そしてIKO IKOでのANTONコーナーがいきなり復活していて老婆狼狽する(笑)
今日のANTONコーナーは弾けもせず滑りもせず。

アンコールでは地元の学生さんたちとのセッション。
ここは撮影OKということでちょっとだけ動画。
星野源ちゃんの「恋」
サビのところを撮って、次の自分の出番に備えてスマホをしまったところで、YASSYの怪しいドリフ風の恋ダンスが始まる。
すげー!(笑)
これきっと思いつきよ?
こっちを撮りたかった‼︎

そして本番一発でよかったはずのセインツだけど、最近ピアニカでワークショップに参加することも多いため(今日はサックス)、B♭とCがごっちゃになってしまいB♭とCを行ったり来たり。
唯一平常心でできる曲だったのになー。

ライブ後はバンビちゃんにおこしかけで買った豆を渡す。
なんかかわいくてほのぼのほっこりする。
ホントにかわいい。
逢えない間のいろいろの中の、黒い雲がサッと消えて陽が射してくる。
ブラックボトムと逢うといつもそう。
武内くん一家にも逢えたし、帰りにおいしい海鮮丼ととり天も食べたし、楽しい休日だったなー。
幸せー!
8/26 赤坂区民ホールでブラックボトム
8/26 赤坂区民ホールでブラックボトム
次の飛行機で無事東京に到着。
今日は赤坂区民ホールでブラックボトムのイベント「Horns A Go Go!」
今日は指定席で、行くことを決めたのもわりと遅かったので中ほどの席で観る。
新鮮。
周りはカルメラファンの方が多いようでカルメラの話で盛り上がっている。
「ブラックボトムちゃんと観るの初めてなんですー」と話しているのを聞き「そうかそうか。じゃあ今からええのん観せてあげましょうね」と心の中でほくそ笑む。
清美ちゃんから、誓哉くんの髪型に著しい変化ありとの報告を受けていたけど、さっき逢ったら坊主だった。
「あれ?」と声を掛けたらキャップ取って見せてくれた。
くりくりちゃんでかわいらしい。

いつものようにマーチングで元気よく登場。
「バンビちゃーん!来たよー」と心の中で手を振る。
私は指定席でないときはたいていバンビちゃんかぶりつきにいるので、客席の様子はあまりわからないのだが、今日はよく見える。
仲のよい友だちがうれしそうにブラックボトムを観ている顔を見るのもうれしい。
特にマーチングで現れたブラックさんたちを見ていたナツコちゃんはかわいかったなぁ。
ナツコちゃんももう17年もファンなのにあんな顔して観てるのかー、と思う。
今日はブラックさんたち、見た目もMCも絶好調で(演奏はいつも)、どっかんどっかんウケている。
周りのカルメラファンの方たちも楽しそう。
そしてお待ちかねのカルメラホーンズ登場。
お久しぶりのつーじー、たなっち、こばやん。
でも5月にチラ見したから、よく考えたらそんなに久しぶりでもないか。
たなっち、相変わらずかわいいな。
でも深入りしたらややこしいのでなかったことにする(笑)
こばやんはちょっと尚之っぽさあるな。
カルメラホーンズも交えて、アイネクライネナハトムジークからのSoulFinger。
おー!SoulFingerいいね。
カルメラとのツーマンツアー思い出す。
そしてキタさんとはムッシュの「二十才のころ」
キタさんはホントにそうとうお久しぶりだけど、音も物腰も柔らかくて大好き。
すてきだなー。選曲もいい。
そこに元晴氏も加わって「Afrodisia」
この曲のときの誓哉くんは本当にカッコいいなー。
そしてアンコールの豪華な全員セッションの後、ワークショップにも出ていないのに自分もしれっとステージに上がり、みんなでセインツ大合奏。
こばやんに誘われ本番でいきなりアドリブソロをかましてくれたたっくん。
この前ちびっこで、ほんのちょっと前にトランペット始めたと思ったのになー。

ステージから降りてマーチングで客席を練り歩くとき、わりと客席を見ているので知っている人が来てたら気がつくのだけど、終わって楽器を片付けに行こうとしてるときに石橋姉妹から声をかけられる。
まぁー!こんなところで!うれしい。
もうあぶらまつりなくなっちゃったからたまにはこうしてまた
ブラックさん観に来てね。
いやいや、朝の時点ではどうなることかと思ったけど、とてもいい日だったなー。

そしてバッタバタで、バンビちゃんとは特に会話もなく両首を斬られたくらいで終わったのに、最終的にものすごくバンビちゃんに気持ちを持っていかれ、「ああバンビちゃんバンビちゃん」とつぶやきながら帰るというね・・・。
バンビ最強説健在(笑)
一夜明け、今日は神戸の旧グッゲンハイム邸でブラックボトムのツアーファイナル。
えびちゃんたちは今日も名古屋でコンサートだけど、私は神戸に移動。
今日も楽しいんだろうなー。
私も負けじと楽しむよ。

電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、塩屋で清美ちゃんと合流。
やー、久しぶり!
外で並んでいるときに、蚊がめっちゃ多くて大いに動揺する。
私は蚊が大嫌いで、蚊を見るとネズミを見たときのドラえもんのようになってしまうのだ。
そして私は異常に蚊に好かれるタチで、足元に早くも2匹仲よく私の血を吸っている蚊たちを発見!
素早く屠ったが、だいぶ血を吸われていた。
ギャーギャーと大暴れする私に清美ちゃんがサッと虫除けスプレーをかけてくれてウナコーワクールも貸してくれた。
ありがとうグッドパートナー!

開場すると続々とファンの皆さんが集まる。
逢いたかった人がいっぱいいてうれしい!
昨日おとといとずっとブラックボトムとA.B.C-Z以外は知ってる人がほぼいない状況で過ごしてきたので人恋しかったらしい。

まずはブラックボトムのライブで賑々しくスタート。
外でちょこっと吹いて、マーチングで中に入ってくる。
ちょっとだけ昨日2階に現れたとっつーと塚ちゃんを思い出す。
中に入りきらなくて外のお庭から観ている人も、みんなニコニコ。
メンバーもうれしそうでMCも冴えてたなー。

ブラックボトムに続いては杉瀬陽子さん。
最後に一曲セッションして、その「マドロスの小瓶」という曲がとてもよかった。
私は杉瀬さんは明るいパーッとした曲がとても似合うと思う。
元々、杉瀬さんはニューオリンズスタイルをイメージしてこの曲を作ったそうで「これが『マドロスの小瓶』の完成形です!」と感激しておられた。

今日はsold outだったそうだけど、本当に年末のチキンジョージかのようなファンの顔触れ。
モダンビート時代にファンクラブのお手伝いをしていたスタッフさんたちが今日もお手伝いしてくださっていたり。
中には名前も知らない人もいるけど「わぁこんにちは。久しぶり」と声を掛け合う。
出逢ったとき小学生だったり中高生だったりした子もすっかり大人になっていて「すげーな」と思う。
向こうは向こうで「この人たちこんなおばさんになってもファンなんた。すげーな」と思っているかも知れないけど(笑)

ユウタくんが外でかき氷屋さんをやってて、美味しくて3杯食べる。
ふわふわ氷でうれしい。
メンバーともいろんな話ができて楽しかった。

そして2回目のブラックボトムのライブ。
「BrandNewDays」のフリで誓哉くんがNMBのこととか言ってくれて、優しいなーと思う。
私がお礼を言う筋合いではないことは充分承知の上で、それでも「ありがとう」と頭が下がる思いがする。
実際、今日の「BrandNewDays」は今まで聴いた中で一番よかった。

帰り際にバンビちゃんに握手してもらう。
「昨日バンビちゃんと握手できなかったのに、塚ちゃんにハイタッチしてもらったから」と言うと「・・・。金髪?」
そうそう金髪金髪!
なんかうれしい。

乗り換えの時間がタイトだったり、車内販売のお弁当が売り切れていたりで、空腹のまま新山口へ。
いつもはこの時間に新山口から乗る人はほとんどいないのに、今日は長蛇の列。
なんでなんで?と思ったらワイルドバンチ帰りの人たちか。
お互い楽しい休日でしたね。
開演を待つ間、私にはせねばならないことがあった。
それはペンライトの修理である。
先日ペンラのネジ山を潰し、電池の入れ替えができなくなったために、電池カバーを壊すというワイルドな解決の仕方をしてしまったので、できれば今日コンサート前(A.B.C-Zの)の前に買いたい。
しかし、今日は最悪途中入場になるかもしれないので、買ってる時間はない。
ということは今この壊れたペンラの修理をしないといけないのである。
とはいえ、電池を入れてカバーをつけて、白いビニールテープでくるくるっと巻けばよいだけなので簡単である。
途中何度か点灯し恥ずかしい思いはしたものの「ん?どこが壊れてるの?」と思うくらいのクオリティーに仕上がった。よしよし。

ライブは定刻スタート。これまたよしよし。
会場が暗くなると、いつものように客席後方に注目する。
いつものように後ろの扉から入場し、客席をマーチングしながらステージへ。
これまで何百回と観てきたが、よく考えるとこの手法、とてもジャニーズっぽくてよい(笑)
ライブを観ながら、ふとうちわ出して振ってみようかしら?と思う。
五関うちわの裏が「指さして」なので別にブラックボトムにも使えるのである。
もちろんネタなのであるがやめておいた。
メンバーはわかってくれるだろうが、周りのお客さんにはきっとガチだと思われる。
「最前列にうちわ持ったド痛いおばさんいたね」とか言われたくない。
それでなくてもけっこう痛いし。

今日はステージが高いのでセットリストが見えず、「時間大丈夫かな?」とやや心配になったところで、YASSYの「いよいよライブも後半戦。みんなまだ声出る?」が登場。
「え?またここから折り返し?」と思うなかれ。
YASSYが後半戦と言ったら本編残り2曲の合図である。
あと10分か。順調順調。

その後20分間の転換を経て2部スタート。
まずは尾張旭の中学生との合奏。
YASSY、前列の子の顔を覗き込んで笑わせたりという安定の指揮ハラ(指揮者ルハラスメント)ぶり。
そして高校生との合奏ではGReeeeNの「キセキ」を誓哉くんが指揮。
誓哉くんの指揮するところは多分初めて観たけど、振付けみたいでエレガントだったよ。
最後は一般参加者(私も)が合流して「Piasa Parade」
ステージに上がるときにチラッと時計を見ると全然間に合いそう。
そんな心の余裕からか、吹いてるフリも楽しくこなして「3・2・1 ワッショーイ‼︎」

物販サイン会の席に向かうメンバーにしっかり「また明日ね。」と声をかけて尾張旭市文化会館を後にした。
また明日も逢えるってうれしいなー。
8/19 尾張旭市文化会館でブラックボトムとワークショップ
デルサタで盛り上がった後は尾張旭に向かう。
尾張旭市文化会館でブラックボトムのライブ。の前にワークショップがあるのでピアニカを持って出動。
しかし、今日のワークショップはセインツではなく、地元の作曲家の方がこの日のために作られた曲らしい。
しかもワークショップは事前申し込みはなく、参加者は当日決められた時間に集合というスタイルだったのでどんな曲かも当日までわからないのである。
それを知ったときはたいへん動揺した。
私はピアニカではセインツしか吹けない。
まして初見で吹くとか無理無理無理。
ピアニカよりはまだしもサックスの方が吹けるから、サックス持って行こうかなーと迷ったが、終わってそのままえびちゃんのコンサートに行くのにサックス担いで行くわけにもいかない。
ということでピアニカと不安な気持ちを抱えての参加である。
会場に入るとメンバーは高校生とのリハ中。
お、誓哉くんが指揮するの?初の試みか。
今日のライブは1部がブラックボトムのライブ、そして20分の休憩(転換)があり、2部が合奏でまず中学生、次に高校生、最後に中高生+一般の私たちでワークショップ曲の「Piasa Parade」を合奏して終演ということらしい。
14時開演なのだが何時に終わるのか?
おいら今日はケツカッチンなのだよ。
去年は確か16時くらいに終わった。
タイムリミットは16:20頃である。どうだどうだ?

ワークショップが始まり、シレッとステージに上がる。
受付で楽譜をもらっていたが、やはり初見で吹くことを考慮してある、なかなかに簡単な曲である。
でも私は無理だよ。
中高生は事前に練習しているようなので、若い方にお任せして私は吹いてるフリにて対応させていただこう。
私は演奏は苦手なのだが、この「フリにて対応」はけっこう得意なのだ。
職場でも、この「フリにて対応」を使う場面は多い。
例えば、利用者さまが「今日うちにお客さまがたくさん来るんだけど、ちょっともうお料理作るの間に合わないから仕出しを頼もうと思うの」と突然言い出したりしたときに「わかりましたよー。何人分ですか?」と言って電話で注文するフリをしたり、幻覚がある利用者さまが「あそこ(居室内)で、どっかから入ってきたネコが子どもを産んじょるんよ。私ネコ大好きじゃけどここじゃ飼えんからアンタ連れて行ってくれん?」と言われたときに「わー!かわいいネコちゃんですねー。私もネコ大好きだから私の家で飼おう」と架空の子猫を抱いて連れて行くフリをしたり、と日々「フリにて対応」しているのだ。
ということで、今日も楽しくワークショップできました(笑)
メンバーに終演予定時間を聞くと「16時はちょっとすぎるかなー?」とのこと。
「本番、私いないかもしれないから」と言って笑っていたけど、とりあえずえびちゃんが途中入場になってもブラックさん最後まで観て行こうと実は心に決めてたのでした。

紅白

2000年12月31日 ブラックボトム
私はこう見えてとても素直な性格である。
TVでジャイアンツ戦ばかりやっているから素直にジャイアンツファンだが、もし関西に住んでいたら素直に阪神ファン、広島や名古屋にすんでいたら素直にカープファン、ドラゴンズファンだったに違いない。
他にも、昔からの風習には素直に従う方だし、「らしい」ことが好きである。
新年を迎えるには年越しそばを食べなくっちゃ!とも思うし、「大晦日といえば紅白!!!」な女だ。
素直というより保守的か。
そんな私だから大晦日は必ず紅白を見る。
しっかり録画もするが、チェッカーズが紅白を最後に解散した92年以来、それは単なる習慣に過ぎなくなっていた。
チェッカーズが活動していた頃は紅白でチェッカーズを見るのが楽しみだった。
「何歌うのかなー」とか「どんな衣装かな―」とかいうのも楽しみだし、幕間に全員で歌を歌ったり、曲紹介を兼ねたショートコントなどにもよくメンバーが顔を出していたので、ホントに目を離す暇がなかった。
今はさしずめスマップファンなどがそんなカンジなのかなーと思う。
しかし!今年の紅白は久々に「お目当ての人」が出るので私は大変楽しみにしていた。
その「お目当ての人」とは誰あろう、ブラックボトムホーンズである。
IGGY、MONKY、コーくん、YASSY、タモツくんの5人がhitomiのバックを務めたのだ。
出番が近づくにつれ、私はあからさまに緊張した。
たぶん出演した5人以上にあがっていたと思う。
そうだなあ、級としてはトップバッターの藤井隆級だろうか。
私の緊張をよそに、ブラックボトムの5人がhitomiの後ろで揺れていた。
この曲をレース前に聴いて金メダルを獲ったという高橋尚子も、審査員席でブラックボトムと同じ揺れ方をして聴いていた。
今年はよい年だった。
しみじみそう思う。
おととしはharuchan夫妻が遠い宮崎に転勤し、去年はharuchan夫妻が帰ってきたと喜んだとたん父が亡くなった。
だが今年はよい年だった。
自分の幸せを確認した年だった。
hitomiの出番が終わるとすぐりょうこちゃんからTELがあった。
出先なのでラジオで聴いていたらしい。
電波が悪くすぐにTELは切れてしまったが、TELをくれてうれしかった。
「ああ、私の20世紀は終わった」と虚脱してボーっとしていると、イチコが「来年もたくさんブラックボトムと楽しい時間を過ごせるといいね」と恐ろしく泣かせの入ったセリフを吐いたので、私はまんまと号泣した。
20世紀の泣き納めであった。

裏読者

2000年12月28日 ブラックボトム
昨日のタマブラのときにファン友達のしぢさんが一人の女の人を紹介してくれた。
しぢさんが「SAKUちゃん」と私をことを告げると、その人、あっちゃんは「日記読ませてもらってます」といったので私は驚いた。
こんなところに裏読者の方がおられましたか。
実は裏読者との対面は初めてであった。
あっちゃんが私の日記で最もシンパシーを感じたのは「ガードルは絶対に履かなくてはいけないものだと思っていた」と言うくだりらしい。
ブラックボトムファンの方なので、もっとブラックボトムに関する部分かと思っていた私はちょっと笑った。
そうなのだ。
私はあの日以来ノンガードルライフを送っている。
楽なこと楽なこと。
磯野貴理子よ、どうもありがとう。
皆さんもお試しあれ。
それからもし他に裏読者の方がおられたらぜひ名乗り出てほしい。
それがもし今回のあっちゃんのように今まで全く知らない人だったら「こんな私の知らない人まで読んでくれているのだ」と思って励みになるし、もし私の知っている人ならばなおさら事態は深刻だ。
だって・・・言ってくれないと私はうっかりあなたの悪口を書いてしまうかもしれません!!!!(笑)
そんなことで関係が悪化する前に、さあ!
どうぞ自己申告をお願いします。
今日は私の2000年のブラックボトム納めであった。
この日記だけ読んでいると、私は毎日追っかけばっかりしているようだが、仕事もちゃんとしているのだ。念のため。
今日はタマシイのブラスバンド、略してタマブラというイベントである。
思えば私のミレニアムブラックボトム納めもこのタマブラであった。
なんだかとても感慨深い。
こんなふうに来年も再来年もずっと変わらずにいられたらいいなと思う。
私は別れがあるぐらいなら最初から出会わないほうがいいと思うぐらいの究極のさびしがりやである。
でも、今年もいろんな出会いがあったし、悲しい別れもあった。
Mitchも脱退したし。
いろいろあった2000年だったが、2001年もこんなカンジでいきたいと思える私はきっと幸せ者だ。
MONKYが着ていた黄色のブルゾンが去年のタマブラのときと同じだったことも、なんだかとてもうれしく、幸せの象徴のような気がした。
IGGYは今日も自転車で現れて、自転車で去っていった。
なんか東京の人みたいだ。そうなんだけど。
次は21世紀まで逢えない・・・と、ちょっと深刻になりかけたが、よく考えればあと9日でまた逢えるのだ。
そう思っても、IGGYが去っていく後ろ姿を見ながらやっぱり涙が出た。
今年もお世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
メンバーにも、ファン友達のみんなにも対しても、そんな気持ちで私は下北沢を後にした。
IGGYにそっけなくされた私はすぐにビキのところに報告に行った。
案の定ビキはIGGYが来たことに全く気付いていなかった。
実はIGGYのここ最近のあまりのそっけなさに泣き続けていた私は、今回ビキに鑑定士としての仕事を依頼していたのだ。
私がIGGYに渡し物をするときのIGGYの様子を鑑定してほしい。
IGGYの私に対する態度は客観的に見ても冷たいかどうか、というのが依頼内容である。
ヒガシのことでブルーになっていたビキもやっと鑑定士としての意識に目覚めたらしく、鑑定すべく立ち上がった。
今度IGGYが出てきたら、写真を頼むなりして、その様子を鑑定するという算段である。
するとIGGYが上に上がってきて(店は地下)タバコを吸っていたのでさっそく写真をおねだりした。
まずは私から。
ビキにカメラを渡しながら「上手に撮ってね」と懇願した。
ビキは写真が下手なのだ。
以前ANTONさんとの2ショットを撮ってもらったとき、写真が一面の白い壁で、隅のほうにちんまりと私とANTONさんが写ってるのを見たときはぶちはぶてた(←ものすごくふてくされたの意味の宇部弁)。
今回もそんなことになってはたまらんので、もうちょっと前に出ろ。いや前すぎる。ちゃんと枠に収まってる?とあれこれ注文をつけた。
そのためビキは萎縮して身体がギクシャクしていた。
ビキは写真をとるタイミングが非常に悪い。
「せーの」と言ってからシャッターを押すまでが長すぎるのだ。
私がダメ出しをするたびに横でIGGYが声をあげて笑っていた。
「あー、IGGY笑ってるー。笑ってるところ見た―い」と思うけれど、真横にいるのでドキドキして顔が見れない。
結局3枚撮ってもらったが最後まで間が悪かった。
IGGYも絶対心の中でツッコミをいれていたはずだ。
しかし私たち2人も相当いっぱいいっぱいで、IGGYの前で数々の生きた宇部弁を披露してしまったように思う。よく覚えてないが。
IGGYは終始笑っていた。
私が握手をしてもらい、そのあとにビキもしてもらっていた。
その様子を見てなんともいえず嬉しかった。
ビキから聞かなくても鑑定結果はわかっている。
今日のIGGYはとってもいいカンジ。
これぞ私の大好きなGGYである。
あー、シアワセシアワセと、わが身の幸福を満喫しているとむこうからゲイ受けNo.1のコーくんとNo.2のYASSYが連れ立ってきた。
あまりにも危険である。
狼の群れに羊を2匹放したようなものではないか。
私は2人にすばやくクリスマスカードを渡し、2人の今夜の無事を神に祈った。

ライヴはいつものごとくとても楽しく終了した。
他のメンバーは入りが遅かったらしく、ビキと王子さんの写真をと撮るという大仕事をまだ果たしていなかったため、イエローカードオーケストラが控えているにもかかわらず、かぶりつきの座を放棄し外へ出た。
ピットインの向かいは何のお店だろう?と疑問に思っていたがこのとき謎は氷解した。
ゲイの集まるお店であった。
地上へ上がる階段は男で埋め尽くされ、異様な雰囲気であった。
半々よりもちょっと外人が多い。
ゲイの皆さんの「お前らに用はないんだよ」という視線に耐えつつ王子さんが通りかかるのを待った。
ほどなく王子さん登場。
渡し物をすると、王子さんはビキを見て「おお、久しぶり」と言った。
さすが王子さん。
ビキを示しながら「今日ね、友達の誕生日なんですよ」と言うと「ほー、イヴかー」、「ジーザスと一日違いやなー」と言っていた。
肝心の「おめでとう」という言葉は引き出せなかったが、写真も撮って握手もしてもらって、ビキはとても満足していたようだ。
沖縄のイベントのときのDJ SASAさんが来ていて、お帰りのときに声をかけてくださった。
ありがたいことである。
私は自分から人に声をかけるのが苦手なのだが、今度逢えたら思いきってこちらから声をかけてみようと思った。
その後、IGGYが帰るとき、また自転車に乗るところの写真を撮らせてもらってお見送りした。
IGGYの自転車がピュ―ッと闇の中に消えていくのをいつまでも見ていた。
またすぐ逢えるのに、やっぱり寂しいものだなぁ。
今回はIGGYがとても優しかったので、私も少し大人になって、
「IGGYが今夜、大好きな人と素敵なイヴを過ごせますように」
とIGGYの背中に向かって祈った。
新宿に舞い戻った私達は今度は新ブラしつつ、晩ご飯を食べるところを探した。
いいカンジの店がわりとすぐに見つかったのだが、何しろビキはシナボンにやられていたのでとてもすぐにはご飯は食べられない。
なので時間をつぶすため+私がクリスマスカードを書くためにミスドに入った。
シナモンロールを食べている人を見て、ビキは「見るのも嫌だ」と言っていた。
そうだろうそうだろう。
私もしばらくそうだった。
言っておくが1ヶ月ぐらいそんな感じだぞ。
私がクリスマスカードを書き上げた頃、ちょうどビキも「ボチボチご飯を食べられないこともない」というぐらいに回復したので、さっそく食べに行った。
串揚げやさんだったのだが、串揚げはもちろんのことサラダも刺身もみんなおいしくて、大当たりだった。
そしてこのあとに控えているのはブラックボトムのライヴである。
私のボルテージは最高潮であった。

食べ終わった私たちはもう一度ピットインの下見に行くことにした。
2丁目方面に向かって歩いているとビキにメールが入った。
なんというか、いまどきな話で恐縮なのだが、ビキは少年隊ファンなのである。
特にヒガシの熱烈大ファンである。
この日は全日空ホテルでニッキのディナーショーをしていたのだが、それにヒガシが来たというお知らせメールであった。
それを読んだビキはいてもたってもいられなくなり、全日空に行くと言い出した。
そりゃそうであろう。せっかく東京に来てるのだ。行ってきたまえ。
私は開場時間には帰ってくるように申し渡しビキを見送った。
私はそのままピットイン前に残り、なし崩しに入り待ちに突入した。
が・・・来やしない。
新宿2丁目という場所柄、男性同士のカップルが非常に多い。
私はその方面にひとり友達がいるので、あまり偏見はないほうだと思っていたのだが、それにしてもうんざりした。
っていうか男女のカップルでもそこまでされたら気持ち悪いというほどのことを男同士でしているのだ。
私はそのゲイの友達のジョニーくん(横浜在住)にバッタリ逢いはしないかと冷や冷やした。
そういえば以前ジョニーくんにブラックボトムの写真を見せたとき、コーくんはものすごくゲイ受けするタイプだといっていた。
なんだかゲイに好かれる要素がこれでもかこれでもかというぐらいいっぱい詰まっているめったにない逸材らしいのだ。
すごいなぁ。
女の子にも大人気のコーくんなのに男にももてるのか。
うらやましい限りである。
あー、でもやっぱりそうだろうなぁ。
コーくんはかわいいしカッコイイし優しいし面白いし誰でも好きになるよなぁ。
ジョニーくんが言うには、コーくんほどではないけどYASSYもその気ならば男には不自由しないぐらいにはもてるそうだ。
そんなことをつらつらと考えながら待っていたが、一向に来る気配がない。
リハをするんならそろそろ来ないと遅いぐらいの時間なのだ。
私が見てないうちにさっと入ってしまったのかなぁと心配になっているとビキも戻ってきた。
どうやらヒガシに裏から出られたらしい。
ビキはすっかりブルーになっていた。
私もメンバーに逢えなかったと思いすっかりブルーになっていた。
ブルーになりつつも、なんか虫の知らせとでも言うのか、なんとなく1本先の路地にフラフラと歩いて行くと、ちょうどIGGYが来て自転車を止めているところであった。
トリュフを探す鼻のいいブタのような嗅覚でIGGYを探し当てた自分に我ながら驚いた。
私はIGGYに駆け寄ってクリスマスプレゼントを渡した。
IGGYは「ああ、ありがとう」とは言ったものの、その言い方はやはりそっけなく、そのそっけなさは私をブルーにさせるのに充分であった。


ライヴのたびに思うのだが、IGGYのヒジはとてもキレイだ。
ガピっとしたカンジが全くなく、つるっとしていて、色も他の肌の色と全く変わらない。
腕を伸ばしているときはどこがヒジかわからないほどの美しさである。
私はIGGYの美しいヒジを見るたびとてもしんみりとした気持ちになる。
「ああ、やっぱりこの人とは育ちが違う」と思ってしまうのだ。
そう。私のひじは汚いのです。
どのくらい汚いかというと、半袖になると軽い悲鳴と共に「ヒジどうしたの!?」といわれるくらいなのだ。
「別にどうもしてない。これが私の地ヒジだ」と告げると一様に気まずそうな顔をする、そんな、人にちょっとしたブルーをもたらすヒジの持ち主なのだ。私は。
ガピガピでがさがさであざのような色をしている。
色が白いのでよけいに汚さが際立つのだ。
なぜ私のヒジはこんなに汚いか。
理由はわかっている。
家にいるときはなんでもかんでも寝転んでやるため、しょっちゅうヒジをついているのだ。
今この日記も寝転んでヒジを付いて書き込んでいる。
こういう長年の怠惰な生活習慣から私の汚いヒジは生まれた。
だからIGGYのヒジを見ると「この人はなんでも座ってやるんだろうなぁ。ちゃんとしてるなぁ」と思ってしまうのだ。
ヒジをツルツルにする「プリティクリーム」でマッサージしたり、ヒジの黒ずみをとるシートパックを試したりもしたが、私のヒジには太刀打ちできなかった。
もはや自分の体の一部でありながら、自分ではどうにもできないところまできている。
ヒジをつくのをやめたらいいのだが寝転びの手軽さにはかなわないのだ。
「私は寝転び屋だがヒジは美しい」
「ヒジの特効薬を知っている」
そんな人がいたらぜひ教えて欲しい。
目が覚めると6時半だった。
3時頃寝たのに立派なもんである。
今日はひめゆりの塔に行くので早めにホテルを出なくてはいけない。
昨夜調べたところによるとけっこう遠いのだ。
朝食が7時からなのでそれまでに帰り支度をささっとすませた。
そして8時少し前にチェックアウトした。
まず空港に行って、ロッカーに荷物を入れた。
身軽になっていざ糸満へ。
なぜひめゆりの塔かというと、昨日ヒューマンステージを後にする時に建石さんがIGGYのおすすめスポットであることを教えてくれたのだ。
「じゃあ、明日行きます」私は即答した。
建石さんはただ単に「ひめゆり」と言っていたのでもしかするとひめゆりの塔ではなくひめゆりパークである可能性もあるが、やはりここはひめゆりの塔ととるべきだろう。
それにしてもひめゆりの塔か。
IGGYの引き出しは広いなぁと思う。
IGGY道は難しく険しいが、いつか極めたい。
今日はその第一歩である。
バスで小一時間。それから乗り換えて20分ぐらい。
車窓の景色は飽きることがなかった。
初めての町は気持ちがいい。
のんびりした気持ちになり、うとうとっとしかかったところでひめゆりの塔についた。
私はひめゆりの塔に関して何の予備知識もなかった。
戦争に関して、何か若い女の子達が悲しい目に遭ったらしいということぐらいしかわかっていなかった。
今までに知る機会はたくさんあったと思うが無意識のうちに避けていたのだ。
私は人一倍想像力があり、記憶力も良いほうで、悲しい話を見聞きすると何度もくり返し思い出しては泣くのだ。
だから悲しそうな話は極力近寄らないようにしているのだ。
しかし私はしらなすぎるってヤツだった。
こんなに悲しくて切なくて理不尽な話だったのか。
小学校の修学旅行で広島の原爆資料館へ行ったが、そこよりも心理面をよくフォローしていたのでよけいに悲しかった。
ひめゆりの乙女たち一人一人の顔写真の下に、名前と、年齢と、どういう最期であったかが書かれている。
なにやら峠越えをしているときに米兵に見つかり「私は皇国のオンナだ。殺せ!」と詰め寄り眉間を撃たれたという女の子もいた。
17歳でその覚悟はすごいと思う。
でも撃った米兵はもっとすごいと思う。
普通撃たないだろう。しかも眉間だ。
武器もなんにももってない若い女の子を撃ち殺すことのほうが普通だという戦争とはつくづく怖いと思う。
生き延びた人の手記や、当時の作文も展示されていた。
私はいちいち熟読しては泣いた。
修学旅行の高校生がロクに展示も観ずにだらだらと歩いている。
こんなヤツらには私の涙を見られたくないが涙は出る。
もう私はちょっと横になりたいと思うぐらい泣き濡れた。
来てよかったが、一度で充分だと思った。
それからまた国際通りに戻ってお土産を買ったり、冨士家でぜんざいを食べたりして最後の沖縄を満喫した。
この3日間はとても濃く、楽しかった。
次に沖縄に来れるのはいつであろうか。
やっとのことでつかまえたタクシーに乗り込んでも、号泣のあまり嗚咽し、行き先すら言えない始末。
運転手さんは「今日は仕事が忙しくてごはんを食べる時間もなくて、おなかがすいて私も泣きたいよ」といいながら私の気が静まるのを待っていてくれた。
ようやく落ちつき行き先を告げると運転手さんは「そんなに感動的なライヴだったですか。今日は誰が来たんですか?」と言った。
私は運転手さんになんとかしてこの感動を伝えたかった。
でも今日のライヴの話だけしてもこの涙の意味は絶対にわかってはもらえまい。
何から話せばこの人にわかってもらえるのだろうか。
それにしてもこのおじさんの口から(50歳ぐらいと思う)「ライヴ」という言葉が出るとはね。
なかなかやるなぁ。
うちのイチコからは「コンサート」という言葉を引き出すことすらけっこう苦労するぞ。
会社のMKは座席指定がコンサート、オールスタンディングがライヴと思ってるようだし、そんなヤツらに比べたらこのおじさんはけっこうイケている。
説明次第では私の気持ちをわかってくれそうだ。
でもいったい何から話せばいいのか・・・。
そんなことをつらつらと考えてすっかり頭が混乱した私の口から出た第一声は「3月にはMitchがいたけど今日はいないんです!(半泣き)」
なんじゃそりゃ。
運転手さんにしてみれば「誰だそれ?」ってなもんだろう。
我ながらけっこう笑った。
運転手さんも笑って、そこで気持ちがほぐれた私は一気に喋った。
「最初は関西でやってたけど去年の夏に東京に行っちゃったんです」
「私がファンになった頃はスーザホンはドッコイさんっていう人だったんですけど、今はタモツくんなんです」
「96年のクリスマスは、YASSYがサンタさんになってみんなにクリスマスプレゼントを配ったんです。みんなに幸せを配ってくれたようで、あの時すごく嬉しかった」
「ドッコイさんが脱退したとき悲しかったけど、今はタモツくんのこと好きなんです。だから今はMitchの後に誰か入るかも・・・って思うとなんかいやだけど、入ったらその人のこともきっと好きになるだろうな―と思うんです。でも今はやっぱりこのまま7人でやって欲しいけど」
「昔ライヴでよく逢ってたファンの子でもいつのまにか見かけなくなるようになって、その分新しいファンの子もいっぱい増えてるんだけど、なんかやっぱりさびしいなって思う」
順番もめちゃくちゃで、説明不足で、私の心情のみで押し進めていってるような話でもおじさんは真剣に聞いてくれて、時折してくる質問も非常に的確で、ちゃんと聞いてくれているなと思えるものであった。
30分ぐらいかかってホテルに着いたとき、私の話はまだ「今年の夏に大阪であったライヴが素晴らしくよくって感動した」というあたりであった。
ああ、もうホテルに着いてしまったか、途中になってしまったけど、私がブラックボトムのことを好きだと思う気持ちはきっと伝わっただろうからいいか・・・と思っていると、おじさんから「話もまだ途中だし、御飯でもごちそうしましょうか」という申し出があり、ありがたくお受けした。
人見知りの私にしては異例中の異例なことだが、沖縄そばとヤギのお刺身とゴーヤチャンプルーと泡盛をごちそうになった。
泡盛は初めてだったがうまくて舌が鳴った。
おじさんは仕事中から飲めないと言っていたので申し訳ないなぁと思いつつもお替わりしてしまった。
ようやく私の長い話が終わるとおじさんは「今日はいい話をいっぱい聞けたなぁ」と言って私に1ドル札を記念にくれた。
沖縄ではタクシーで普通にドルが使えるらしい。
めんどくさいので1ドル100円で計算するそうだ。
それからおじさんはおもむろに「山口は寒いですか?」と聞いた。
「今年はそうでもないですよ」と言うと「今年の4月に娘が長野に嫁にいったですよ」と言った。
まだ二十歳だったらしい。
昨日電話をしたら長野は氷点下10℃だと言っていたそうだ。
「沖縄が24℃ぐらいだから34℃ぐらいも差があるわけですよ」
そういってしばらく沈黙した後「そんな寒いところでどうやって生活しているかと思うと・・・」と言っておじさんは声を詰まらせた。
私もつられてまた泣いた。
それから沖縄のことを少し教えてもらっておじさんとわかれた。
別れるときおじさんは「お正月には娘が帰ってくるので楽しみだ」と言っていた。
そして「今度は夏にいらっしゃい」と言っておじさんのタクシーは走り去っていった。
私はホテルに戻り、お風呂に入り、明日行く予定のひめゆりの塔へのアクセスと、コーくんの言っていた、メンバーの泊まっているホテルの場所をガイドブックでチェックして(別に知ってどうするわけでもないが)、さびしがる暇もなく深い眠りについた。
ちょうどブラックボトムがニューオリンズに行っているときに、たまたまKAYAさんも初めてニューオリンズに行ったそうだ。
そのときブラックボトムはニューオリンズの有名なバーで演奏していたりして、ちょっとしたスターだったらしい。
KAYAさんはまだギターを始める前で、その滞在中に路上でトランペットを吹いてるおじさんだかおじいさんだかがいて、その人が吹いてた曲がすごくよかったので、その人になんていう曲かと聞くと、「○○○の△△△だ」と教えてくれたらしい。(けっこう有名な曲。ちゃんと聞いたのに忘れてしまった)
それでKAYAさんはその曲を演奏したい一心でスライドギターを始めたそうだ。
KAYAさんは、「あのときただ憧れていただけの存在だったブラックボトムと今日はいっしょにやれてうれしい」と言った。
その話を聞いて私はまたブラックボトムを遠く感じた。
メンバーがあまりにフレンドリーに接してくれるので錯覚しそうになってしまうがやはり立っている位置はあまりにも遠い。
10歩ぐらい離れたところでKAYAさんの演奏に聴き入っているYASSYの姿を、私は遠い気持ちで見つめていた。
次は南国ドロップスというバンド。
これまた大所帯かつ男女混成で、始まる前からワクワクしていた。
始まってみると案の定モロにストライク。
私はこういうイベントではブラックボトムの直前のバンドにはあからさまに気がのらない。
失礼な話なのだが「早くブラックボトムを出してくれよ―!!」と思い気もそぞろになってしまうのだ。
だが南国ドロップスは楽しかった。
ほんとにすごくいいイベントだ。
出てくる人出てくる人みんないいし、DJも踊りやすいし、酒もうまいし、バンザイ!である。
こうしてテンション最高潮のときにブラックボトム登場。
私はかえすがえすもジャーナリスト失格なのだが、楽しさのあまり細かいことはほとんど覚えていないのだ。
ただ、ものすごい一体感だった。
前のほうで見ていたのは、私以外はほとんどが今夜の出演者だったが、そんなことは全く関係なく、そこにいる全員がブラックボトムのライヴを楽しんでいるお客さんだった。
私は今までブラックボトムのライヴを大小織り交ぜて何本見たかわからない。
50本目まではカウントしていたがもうわからなくなってしまった。
その中で盛り上がったライヴの最高記録は今年の7/18の心斎橋クアトロだったのだが、今日はその記録を軽く更新するほどの盛り上がりであった。
メンバーもとても楽しそう。
丸で観客とメンバーがハッピーのキャッチボールをしているようだった。
ライヴ中に何度かブラックボトムのファン友達の顔が頭をよぎった。
こんな楽しいライヴをあの人にも、あの人にも、あの人にも観て欲しかった。
そして「ブラックボトムのファンでよかったね!」って、みんなで言い合って笑いたかったのだ。
それだけみんなが一体化したライヴだったのに、終わったとたん、やっぱり私は一人ぼっちだった。
今夜の出演者たちも、DJ SASAさんもKEN子さんもみんな輝く何かを持っているのに私にはなにもない。
輝いているあなたたちが眩しくてもうこれ以上とても見ていられない。という気持ちになり、私は帰る支度を始めた。
帰る前にコズエさんにひとことお礼を、と思い見るとコズエさんはライヴハウスの床に横たわるようにして泣いていた。
私も泣きそうになりながらお礼を言い、入口で物販をしていた建石さんにIGGYへの手紙を預け、ヒューマンステージをあとにした。
そこまでが限界だった。
バタン扉が閉まる音を合図に、私の目からはどんどんどんどん涙が溢れてきた。



メンバーが去った後も私にはまだまだ時間があった。
そうだ!せっかくだから観覧車に乗ろうと思い立ち1人で乗った。
上昇しているとき、道路の車の流れを見て、この中のどれがメンバーの乗ってるワゴン車だろうと思うと不意に泣けてきた。
私はブラックボトムに出逢えてホントに幸せだと思った。
ブラックボトムに出逢う前からけっこう幸せだったけど、出逢ってからもっともっともっと幸せになった。
一面に広がる沖縄の風景を見て「私はブラックボトムのことが好きで、沖縄までやってきたのだなあ」と思った。
それは当たり前のことのようにも、ものすごいことのようにも思えて、涙はいくらでも出てきたのだった。
そのあと、昼食を摂ったり、大道芸人を見たり、小さい買い物をしたりと、アメリカンビレッジを満喫し倒して、今日のライヴ会場である宜野湾のヒューマンステージへ向かった。
実はこの時点でもヒューマンステージの場所はものすごくアバウトにしかわかっていなかった。
「330号線の長田の交差点からガーッとまっすぐ行ったところ」
予習好きな私が持てる力を総動員して各方面から調べ上げてようやくこれだけのことがわかったのだ。
それ以上のことは、どっちにまっすぐ行くかさえわからない。
わりと近い地点までバスで行き、そこからタクシーに乗り換えて長田の交差点で降ろしてもらった。
とりあえず4方向にくまなくまっすぐ行ってみれば見つかるであろうと思ったがなかなか見つからない。
道ゆく人に聞いてみるがみんな知らないという。
っていうか知らないような人しか歩いていないのだ。
ようやくギター小僧を発見。
彼なら知ってるであろうと自転車ですれ違った彼のあとをダッシュで追い(声がまだあまり出ないので呼びとめられなかった)、信号2つ分行ったところでやっと追いついた。
息も絶え絶えに聞いてみるとやはり彼は知っていた。
さすが私の見込んだ男である。
しかし彼のいう場所は私がさっきから10回は通った場所である。
ライヴハウスがありそうな気配はなかったのだが・・・。
「ペンキ屋の3階ですよ」という彼の言葉にポンとひざを打った。
ペンキ屋なら確かにあった。あそこかー。
まさかペンキ屋の3階にライヴハウスがあろうとは。
約一時間待って開場し、中に入った。
食事療法を始めて以来お酒は断っていたのだが今日は飲むことに勝手に決めた。
久々に飲むお酒はとてもおいしくて五臓六腑に染み渡った。
私は調子に乗って次々飲んだ。
そしてどんどんテンションが上がって、さらにまた飲んだ。
いちばん最初はスカイメイツ。
Vo.くんがSAXを吹いていたのでちょっとビックリした。
たしか3月には吹いていなかったと思うのだが。
前回より、いいカンジにスカ色が薄まってるような気がした。
私はこういう男女混成バンドは無条件で好きなのでもっともっと見たかったが、あっという間に終わってしまった。
DJタイムもとてもよくて、踊りやすく、また酒が進んでは、さらにテンションをあげた。
対面にコーくんがいたので話しかけに行った。
コーくんは今日の昼間はCD屋廻りをして、ブラックボトムのテープを置かせてくれるお店を探していたらしい。
その話を聞いて私ももっと真剣にテープを置いてくれるお店を探してみようと思った。
がんばらねば。
コーくんが「那覇に泊まってるの?」と聞いてくれたのでチャンス!と思い、私も泊まっているホテルを聞き出した。
やはり違うホテルだったので、明日の朝食はスッピンで行っても大丈夫である。
続いてERINA&ISLAND VIBSというレゲエバンド。
そしてスライドギターのKAYAさんという男の人。
KAYAさんは今は横浜に住んでいるらしいが一年前ぐらいまでは沖縄にいたらしい。
そのときにたいへんお世話になったスカイメイツの女の子達に捧げると言って、オキナワンバタフライ(だったと思う)という曲をやった。
確かに、この暖かい沖縄という町で輝いているスカイメイツの女の子達は、ひらひらとかわいらしい蝶々のようだ。
関係ない私まで「ああ、ホントにスカイメイツに捧げたい」という気持ちで聴いていた。
そしてKAYAさんはそのあとのMCでニューオリンズの話をした。

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