9/13 徳永善也を送る会?
2004年11月7日順番を待ちながら改めて考えると、確執騒動のせいだと思うが、会場内におけるクロベエは「アブラーズのクロベエ」という、なんだかやや不自然なカンジになっていた。
アブラーズにおいてはクロベエはサニーなのだが、でもここでみんなに送られているのはサニーではなくクロベエで、でもチェッカーズの、ではなく、アブラーズの、なのだ。
確執問題が騒がれ、チェッカーズを前面に出したくないという意図はわかるんだけど、でもチェッカーズだってクロベエの「最後のバンド」ではなかったけれど、人生の中の重要な部分だったし、ぶっちゃけ最も輝かしい時代であったはずだ。
それはそれで大事にしてほしいので、あまりにもチェッカーズの匂いが消されていることは、私にはやや残念に思えた。
いよいよ私の番が来て、クロベエの前にお花を捧げ、お別れの挨拶をした。
なんて言ったかは内緒である、というか言えない。
文章じゃなくて、今までのクロベエに対する気持ちを、塊のままそこに置いてきたというカンジである。
ほぐして文章にすると長すぎて、後の人に差し支えるから、それはクロベエが暇なときにでもゆっくり解きほぐしてみてくれたらと思う。
献花が終わって、会場を出るとき、係員の人から1枚のはがきをもらった。
発起人の5人からのコメントであった。
ああー、お疲れ様でした。ありがとう。
あなたたちのおかげで一区切りできました。
気づけばもう空港行きのタイムリミットに近い時間である。
私とめぐはみんなへの挨拶もそこそこに駅に向かい、約束どおりクロベエに缶ビールで乾杯。
電車の中で、さっきもらった発起人からのはがきを眺め、泣いて笑って、また丁寧にバッグにしまい、そしてまた思い出したように取り出して眺め・・・をエンドレスに繰り返し空港に着いた。
これだけは忘れちゃいけない「東京ばな奈」をしっかり購入し、機上の人となってからも、まだいつまでもはがきを取り出し、メンバーになりきって音読したりしていた私たちであった。
アブラーズにおいてはクロベエはサニーなのだが、でもここでみんなに送られているのはサニーではなくクロベエで、でもチェッカーズの、ではなく、アブラーズの、なのだ。
確執問題が騒がれ、チェッカーズを前面に出したくないという意図はわかるんだけど、でもチェッカーズだってクロベエの「最後のバンド」ではなかったけれど、人生の中の重要な部分だったし、ぶっちゃけ最も輝かしい時代であったはずだ。
それはそれで大事にしてほしいので、あまりにもチェッカーズの匂いが消されていることは、私にはやや残念に思えた。
いよいよ私の番が来て、クロベエの前にお花を捧げ、お別れの挨拶をした。
なんて言ったかは内緒である、というか言えない。
文章じゃなくて、今までのクロベエに対する気持ちを、塊のままそこに置いてきたというカンジである。
ほぐして文章にすると長すぎて、後の人に差し支えるから、それはクロベエが暇なときにでもゆっくり解きほぐしてみてくれたらと思う。
献花が終わって、会場を出るとき、係員の人から1枚のはがきをもらった。
発起人の5人からのコメントであった。
ああー、お疲れ様でした。ありがとう。
あなたたちのおかげで一区切りできました。
気づけばもう空港行きのタイムリミットに近い時間である。
私とめぐはみんなへの挨拶もそこそこに駅に向かい、約束どおりクロベエに缶ビールで乾杯。
電車の中で、さっきもらった発起人からのはがきを眺め、泣いて笑って、また丁寧にバッグにしまい、そしてまた思い出したように取り出して眺め・・・をエンドレスに繰り返し空港に着いた。
これだけは忘れちゃいけない「東京ばな奈」をしっかり購入し、機上の人となってからも、まだいつまでもはがきを取り出し、メンバーになりきって音読したりしていた私たちであった。
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