見えない方が見えている?
2007年5月30日私の仕事の中で「配茶」という業務がある。
10リットルのヤカン2つにお茶を入れて、各患者さんのお部屋を回り、お茶を配っていくのである。
たいていの患者さんは急須やティーポットを使っているのでそれに入れるのだが、ステンボトルやペットボトルに入れてという患者さんもいる。
私はそれが異常なくらい苦手なのだ。
自分たちが毎日仕事中に飲むお茶も、患者さんのお余りをいただいてペットボトルに移しているのだが、移すときに8割方こぼす。
こぼすというか、溢れさせるのだ。
ペットボトルの口をじっと見ながら、慎重に慎重に移すのだがそれでも溢れる。
今6分目くらい、7分目、8分目・・・ああ、そろそろいっぱいになるから止めなきゃ、と思ったときには、もうジャーッと溢れかえってるのである。
だから私は必ず布巾持参で配茶に回るが、途中で何度か布巾を絞らなくてはいけないくらい溢れさせる。
ペットボトルよりもさらに苦手なのがステンボトル。
ペットボトルは側面からうっすら入っている量がわかるから、そうは言ってもまだストップがかけやすい。
しかしステンボトルは中の量が注ぎ口からしか見えないので、注ぎ口にお茶が見えて「あっ!」と思ったときにはジャブジャブ溢れている。
脳がストップをかけても手が追いつかないのだ。
おそらく何かの異常なのであろう。
もともと反射神経は鈍い方だと自負している。
しかし、配茶以外の件に関してはそこまで病的ではない。
充分常識の範囲内の鈍さである。
しかし、こと配茶に関しては7〜80℃のお茶をワゴンに溢れ返させて、そのワゴンから床に零れ落ちたお茶がもうもうと湯気を立て「あちち」となってようやく手が止まるといった体たらくである。
私は子供の頃からみんなが普通にできることが自分だけできないという経験を何度かしている。
これもそのひとつなのであるが、今までで一番「なんでできないのかが自分でも不思議」な物件なのである。
10リットルのヤカン2つにお茶を入れて、各患者さんのお部屋を回り、お茶を配っていくのである。
たいていの患者さんは急須やティーポットを使っているのでそれに入れるのだが、ステンボトルやペットボトルに入れてという患者さんもいる。
私はそれが異常なくらい苦手なのだ。
自分たちが毎日仕事中に飲むお茶も、患者さんのお余りをいただいてペットボトルに移しているのだが、移すときに8割方こぼす。
こぼすというか、溢れさせるのだ。
ペットボトルの口をじっと見ながら、慎重に慎重に移すのだがそれでも溢れる。
今6分目くらい、7分目、8分目・・・ああ、そろそろいっぱいになるから止めなきゃ、と思ったときには、もうジャーッと溢れかえってるのである。
だから私は必ず布巾持参で配茶に回るが、途中で何度か布巾を絞らなくてはいけないくらい溢れさせる。
ペットボトルよりもさらに苦手なのがステンボトル。
ペットボトルは側面からうっすら入っている量がわかるから、そうは言ってもまだストップがかけやすい。
しかしステンボトルは中の量が注ぎ口からしか見えないので、注ぎ口にお茶が見えて「あっ!」と思ったときにはジャブジャブ溢れている。
脳がストップをかけても手が追いつかないのだ。
おそらく何かの異常なのであろう。
もともと反射神経は鈍い方だと自負している。
しかし、配茶以外の件に関してはそこまで病的ではない。
充分常識の範囲内の鈍さである。
しかし、こと配茶に関しては7〜80℃のお茶をワゴンに溢れ返させて、そのワゴンから床に零れ落ちたお茶がもうもうと湯気を立て「あちち」となってようやく手が止まるといった体たらくである。
私は子供の頃からみんなが普通にできることが自分だけできないという経験を何度かしている。
これもそのひとつなのであるが、今までで一番「なんでできないのかが自分でも不思議」な物件なのである。
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