私を見て!!?
2006年4月24日昨日付けの日記は「私をもっとよく見て!」という詩である。
これを書いた人は、痴呆と見なされ施設に入所していたおばあさんである。
詳しくはわからないが、翻訳っぽいカンジなので外国の方であろう。
彼女の死後、遺品の中から見つかったものだそうである。
初めてこれを読んだとき、けっこう衝撃的であった。
痴呆のある人、痴呆はないが病気、あるいは加齢により体の自由が利かなくなった人、何を言っても反応がない人(能力はあるのに)、何に関しても否定的な人、依怙地な人。
私は日々、いろんなタイプのお年寄りと出逢い、介護している。
お年寄りは、単に「おじいちゃん」「おばあちゃん」ではなく、それぞれいろんな経験をしてきた人生の先輩である。
人に歴史あり。年寄りは一日にして成らず。
そういうことをよくわかっているつもりの私にとっても、この詩には改めて考えさせられた。
同じ介護者の中でも、ホントに介護ということに対しての心構えがない人が多い。
「ダメやねー!」「またウンコが出たん?」「重たいねー。ちょっとはやせんにゃ」「違うやろ!」などと隣りで聞いていてひやりとするような言葉を平気で投げつけている人もいる。
でも、この詩は、そんな人たちにではなく、「わかっているつもり」の私に対して言っているのだと思う。
お年寄りにはこんなこと言っちゃダメ。
痴呆の人にはこういう接し方をしないといけない。
なまじ勉強して耳年増の頭でっかちになっている私は、逆に「お年寄り」「痴呆患者さん」という大きなくくりでしか見ていなくて、個を見ることができていないのではないか。
確かに患者さんに対して丁寧に接している。
患者さんの尊厳を傷つけるようなことをしてはいけない。
そんな私の「わかっているつもり」が、かえって人を傷つけているのかもしれない。
私の介護は、もしかして上っ面なのか?
この詩を読んでそう思った。
この詩を深く心に刻んで、また新しい気持ちでお年寄りと接していきたいと思う私である。
これを書いた人は、痴呆と見なされ施設に入所していたおばあさんである。
詳しくはわからないが、翻訳っぽいカンジなので外国の方であろう。
彼女の死後、遺品の中から見つかったものだそうである。
初めてこれを読んだとき、けっこう衝撃的であった。
痴呆のある人、痴呆はないが病気、あるいは加齢により体の自由が利かなくなった人、何を言っても反応がない人(能力はあるのに)、何に関しても否定的な人、依怙地な人。
私は日々、いろんなタイプのお年寄りと出逢い、介護している。
お年寄りは、単に「おじいちゃん」「おばあちゃん」ではなく、それぞれいろんな経験をしてきた人生の先輩である。
人に歴史あり。年寄りは一日にして成らず。
そういうことをよくわかっているつもりの私にとっても、この詩には改めて考えさせられた。
同じ介護者の中でも、ホントに介護ということに対しての心構えがない人が多い。
「ダメやねー!」「またウンコが出たん?」「重たいねー。ちょっとはやせんにゃ」「違うやろ!」などと隣りで聞いていてひやりとするような言葉を平気で投げつけている人もいる。
でも、この詩は、そんな人たちにではなく、「わかっているつもり」の私に対して言っているのだと思う。
お年寄りにはこんなこと言っちゃダメ。
痴呆の人にはこういう接し方をしないといけない。
なまじ勉強して耳年増の頭でっかちになっている私は、逆に「お年寄り」「痴呆患者さん」という大きなくくりでしか見ていなくて、個を見ることができていないのではないか。
確かに患者さんに対して丁寧に接している。
患者さんの尊厳を傷つけるようなことをしてはいけない。
そんな私の「わかっているつもり」が、かえって人を傷つけているのかもしれない。
私の介護は、もしかして上っ面なのか?
この詩を読んでそう思った。
この詩を深く心に刻んで、また新しい気持ちでお年寄りと接していきたいと思う私である。
コメント