全力で会話を楽しむ
2005年9月14日私は足が小さい。
21.5がジャストサイズである。と思う。
高校のときは上履きがサンダルタイプだったためわからないが、中学3年生のときに履いていた上履きは21.5だった。
それから身長が1ミリも伸びていないので、足のサイズも変わってないと思われる。
ボーリングのときは21.5だとあからさまに子供向けのデザインなので見栄を張って22.0を借りるが、スケートやスキーのときはジャストサイズじゃないと具合が悪いので子供向けデザインに甘んじている。
何かの拍子に足に注目が集まるとき「わ、足小さいね」と驚かれることがあるが、そんなとき私はよく冗談で「纏足してたから」と答える。
しかし「纏足」が通じない人がけっこういるのである。
最近の若い子はほぼ全滅で「テンソク?」と首を傾げられるのがオチである。
なので纏足が通じないだろうなと思う人には「小さい頃、貧乏でなかなか靴が買ってもらえなくていつも小さい靴を履いてたから」と言ったりする。
手加減しているのである。
ごくたまにこっちが手加減したつもりの人から「纏足してたんじゃないのー?」などと言われて、「あ、知ってたんだ。ごめん、アンタを見くびってたよ」と心の中で詫びることもあるが。
纏足に限らず、そういうことは会話の中でけっこうある。
でもやっぱり会話は手加減なしでできる人との方が楽しいと思う。
ナツコちゃんと話しているときにふとそんな話になり「アントンハイセルの中では多分私が一番学がないだろうから、こっちは安心して全力で会話を楽しめる」と私が言うと、ナツコちゃんは「私いつもけっこう必死だよ」。
その言葉が妙にツボにはまった私である。
でもやっぱり全力で会話できる(と思える)相手でないと話題の幅も自然に狭まってしまう。
私自身もときどき若い子から手加減されていると感じることがある。
若い子のトレンドについての話などで、おばさんだから多分言ってもわからないだろうなと思われているらしき気配を感じる。
知っている話のときはけっこう心外である。
なので私も最近は若い子に対しても全力で話してみたりするのだが、思わぬところでツッコミを受けることがある。
「あれ?○○さんはいづこ?」
「え?」
聞こえなかったのかと思い、もう一度言ってみると「は?いづこ?いづこってなんですか?」
全力で会話を楽しむどころか、手加減すら難しいジェネレーションギャップというものが確実に存在しているなーと感慨深くなる私であった。
21.5がジャストサイズである。と思う。
高校のときは上履きがサンダルタイプだったためわからないが、中学3年生のときに履いていた上履きは21.5だった。
それから身長が1ミリも伸びていないので、足のサイズも変わってないと思われる。
ボーリングのときは21.5だとあからさまに子供向けのデザインなので見栄を張って22.0を借りるが、スケートやスキーのときはジャストサイズじゃないと具合が悪いので子供向けデザインに甘んじている。
何かの拍子に足に注目が集まるとき「わ、足小さいね」と驚かれることがあるが、そんなとき私はよく冗談で「纏足してたから」と答える。
しかし「纏足」が通じない人がけっこういるのである。
最近の若い子はほぼ全滅で「テンソク?」と首を傾げられるのがオチである。
なので纏足が通じないだろうなと思う人には「小さい頃、貧乏でなかなか靴が買ってもらえなくていつも小さい靴を履いてたから」と言ったりする。
手加減しているのである。
ごくたまにこっちが手加減したつもりの人から「纏足してたんじゃないのー?」などと言われて、「あ、知ってたんだ。ごめん、アンタを見くびってたよ」と心の中で詫びることもあるが。
纏足に限らず、そういうことは会話の中でけっこうある。
でもやっぱり会話は手加減なしでできる人との方が楽しいと思う。
ナツコちゃんと話しているときにふとそんな話になり「アントンハイセルの中では多分私が一番学がないだろうから、こっちは安心して全力で会話を楽しめる」と私が言うと、ナツコちゃんは「私いつもけっこう必死だよ」。
その言葉が妙にツボにはまった私である。
でもやっぱり全力で会話できる(と思える)相手でないと話題の幅も自然に狭まってしまう。
私自身もときどき若い子から手加減されていると感じることがある。
若い子のトレンドについての話などで、おばさんだから多分言ってもわからないだろうなと思われているらしき気配を感じる。
知っている話のときはけっこう心外である。
なので私も最近は若い子に対しても全力で話してみたりするのだが、思わぬところでツッコミを受けることがある。
「あれ?○○さんはいづこ?」
「え?」
聞こえなかったのかと思い、もう一度言ってみると「は?いづこ?いづこってなんですか?」
全力で会話を楽しむどころか、手加減すら難しいジェネレーションギャップというものが確実に存在しているなーと感慨深くなる私であった。
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