入れ替わるとき、今ののび太が45年後ののび太に聞く。
「なんで野球をしたり、普通にご飯を食べたりしただけなのにあんなに楽しそうだったの?」
「人にはね、そのときは分からなくても、後になって幸せだなあと思えることがあるんだよ。君にもいつか必ず分かる日が来るよ」
そして、それでもまだよくわからない顔をしたのび太に言うのだ。
「僕は君でよかった。心からそう思う。本当だよ。他ならぬ君である僕自身が言うんだから間違いない」
このセリフにはかなりきましたね。
未来の自分に、そんなふうに太鼓判を押してもらえるなんて、これ以上頼もしいことがあるだろうか。
そしてこうも言った。
「いいかい。君の人生には、まだまだこの先も嫌なことや上手くいかないことがたくさん起きる。でも君は何度つまずいても、そのたびに立ち直る強さだって持ってるんだぞ」
これはさっき好きな話の中で挙げた、死んだおばあちゃんに逢いに行く話の中でおばあちゃんがのび太に言った「何度つまずいても立ち上がるダルマのような人になってほしい」というセリフに絶妙にリンクしている。
のび太は、おばあちゃんの望むような人になったんだなあ。
のび太の45年後は、私のちょうど20年後である。
今、自分なりに一生懸命生きているつもりの私であるが、20年後の私は今の自分をいったいどう評価するであろうか?
20年前の自分になら、アドバイスしたいことはたくさんある。
例えば「なにか手に職をつけたほうがいいですよ」とか。
でも言ったって聞かないだろうし、15歳の私が今の私を見たら「えっ・・・これが私の20年後・・・」と、きっとかなりブルーになるだろう。
若いって残酷ですね(笑)。
私がどんなに「アンタは20年後、毎日がすごく楽しいよ」と言っても「でもアンタでしょ?」と言ってわかってくれないと思う。
そう考えると、人は未来の自分には厳しいけど、過去の自分には優しいのかもなと思う。
20年後、私は今よりももっと自分が好きで、今の自分にアドバイスしたいことがたくさんあるけれど、でもやっぱり優しい気持ちで「でも、そんなアンタが好きですよ」と思っているかもしれない。
未来はどうなるかわからないけど、今の積み重ねが未来へとつながっていくことは確かなので、やっぱり今を精一杯生きることしかないですね。
そんなことを考えるきっかけになり、今の幸せに改めて気づかせてくれた「45年後・・・」は、私にとってベストオブドラえもんとなったのだった。

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