12/31 大晦日
2005年2月17日今日で2004年も終わりである。
今年もいっぱい楽しいことがあり、私は毎日楽しく右往左往していた。
だいたい私は1年を振り返るときには楽しかったことしか思い出せないという、我ながら得な性格だと思う。
しかし、今年はその合間を縫うようにつらいことや悲しいことがあった心に残る年であった。
まず今年の初めに私は病棟を異動になった。
これは自分にとって大事件であった。
療養病棟から急性期への異動で、自分のしたい介護の仕事から遠ざかってしまうこともイヤだったし、せっかく慣れてきたところに、仕事内容が全然違うところで1からやり直しというのもイヤであった。
もうホントに異動を命じられてからの半月というものは、この私の人生に珍しく、逃げたいぐらいにブルーだった。
しかし、人生の上で起こることには何か意味があるというのが私の信条である。
だから今回の異動にも何か絶対に意味があると思って前向きに考えた。
慣れるまでは本当に苦労した。
初めて病院に入ったとき以上に不安だったし、苦しかった。
そのつらい期間をやっと乗り越え、ようやく余裕と自信を持って仕事ができるようになり、また「毎日仕事に行くのが楽しみ」と若干強がりを含みつつも言えるようになってきた頃、また次なるメガトン級の悲しい知らせが私の元に届いた。
クロベエの訃報である。
これについては、私はまだ「意味」を見出せていない。
もっと何年もたたないとわからないことなのだろうか。
チェッカーズと共にすごした楽しい日々はホントについこの間のことのように思えるのに、解散から今日で12年もたってしまった。
すでにチェッカーズが活動していた期間より、解散してからの期間のほうが長くなってしまっている。
私は毎年大晦日には必ず泣く。
でも今年は涙の意味がちょっと違う気がした。
来年の私にはいったいどんな魔が潜んでいるのだろうか?
でもどんな魔が現れても返り討ちにして笑ってやるぜ!
「どんなことが起こっても、私だから大丈夫」
そう言える自信がちょっとだけついてきた今年の私であった。
今年もいっぱい楽しいことがあり、私は毎日楽しく右往左往していた。
だいたい私は1年を振り返るときには楽しかったことしか思い出せないという、我ながら得な性格だと思う。
しかし、今年はその合間を縫うようにつらいことや悲しいことがあった心に残る年であった。
まず今年の初めに私は病棟を異動になった。
これは自分にとって大事件であった。
療養病棟から急性期への異動で、自分のしたい介護の仕事から遠ざかってしまうこともイヤだったし、せっかく慣れてきたところに、仕事内容が全然違うところで1からやり直しというのもイヤであった。
もうホントに異動を命じられてからの半月というものは、この私の人生に珍しく、逃げたいぐらいにブルーだった。
しかし、人生の上で起こることには何か意味があるというのが私の信条である。
だから今回の異動にも何か絶対に意味があると思って前向きに考えた。
慣れるまでは本当に苦労した。
初めて病院に入ったとき以上に不安だったし、苦しかった。
そのつらい期間をやっと乗り越え、ようやく余裕と自信を持って仕事ができるようになり、また「毎日仕事に行くのが楽しみ」と若干強がりを含みつつも言えるようになってきた頃、また次なるメガトン級の悲しい知らせが私の元に届いた。
クロベエの訃報である。
これについては、私はまだ「意味」を見出せていない。
もっと何年もたたないとわからないことなのだろうか。
チェッカーズと共にすごした楽しい日々はホントについこの間のことのように思えるのに、解散から今日で12年もたってしまった。
すでにチェッカーズが活動していた期間より、解散してからの期間のほうが長くなってしまっている。
私は毎年大晦日には必ず泣く。
でも今年は涙の意味がちょっと違う気がした。
来年の私にはいったいどんな魔が潜んでいるのだろうか?
でもどんな魔が現れても返り討ちにして笑ってやるぜ!
「どんなことが起こっても、私だから大丈夫」
そう言える自信がちょっとだけついてきた今年の私であった。
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