長すぎる夢?
2005年1月4日K本さんという70代の女性患者さん。
この患者さんは私が5階病棟に移る前に、瀕死の状態で入院してきたらしい。
皆の「たぶんダメだろう」という見通しを見事に覆し、驚異的な回復力で、私が5階に上がったときにはポータブルトイレで自分で排泄できるまでに持ち直していた。
わりと注文の多い患者さんで、日に何度もナースコールを鳴らすので、若干困りものではあったが、それでもやっぱりそこまで元気になったことは喜ばしいと思っていた。
しかし、私が5階に上がってホンの一ヶ月ぐらいでまた急変してしまい、そのときも「今度こそはダメだろう」と言われていた。
せっかく一度は元気になったのに、また人工呼吸器をつけられてしまい、「K本さん」と声をかけても、目にうっすら涙を浮かべて手を少し動かすぐらいしかできなくなってしまった。
経管栄養も入れられずに、ただ点滴のみで生きている状態から、なんとまた奇跡の復活を見せ、今度は私自身もK本さんの生命力の強さに驚かされるばかりであった。
嘘のように元気になり、また自分でご飯を食べられるまでに回復したK本さんに、私は聞いてみたことがある。
「具合が悪くてICUにいたときのこと覚えてる?」
多分覚えてないだろうと思って聞いたのだが、K本さんは「覚えてるよ」と言った。
「長い夢を見ているみたいだった。自分では3日間ぐらいのつもりだったけど、ずいぶん長い間ICUにいたんだね」
そのときは確か40日くらいICUにいたのだと思う。
K本さんの生命力が弱ければ、そのままずっと長い夢を見続け、そして覚めないまま遠くに行ってしまったのだろう。
しかしK本さんは元気になった。
きっとこれからまたどんどん回復していって、どんどん夢の記憶は薄れていってしまうのだろう。
そう思っていた。
しかし、5月のある日、私が連休明けで出勤してみると、またK本さんは急変しており、ICUで人工呼吸器をつけられて、体中が管だらけの状態に陥っていたのであった。
この患者さんは私が5階病棟に移る前に、瀕死の状態で入院してきたらしい。
皆の「たぶんダメだろう」という見通しを見事に覆し、驚異的な回復力で、私が5階に上がったときにはポータブルトイレで自分で排泄できるまでに持ち直していた。
わりと注文の多い患者さんで、日に何度もナースコールを鳴らすので、若干困りものではあったが、それでもやっぱりそこまで元気になったことは喜ばしいと思っていた。
しかし、私が5階に上がってホンの一ヶ月ぐらいでまた急変してしまい、そのときも「今度こそはダメだろう」と言われていた。
せっかく一度は元気になったのに、また人工呼吸器をつけられてしまい、「K本さん」と声をかけても、目にうっすら涙を浮かべて手を少し動かすぐらいしかできなくなってしまった。
経管栄養も入れられずに、ただ点滴のみで生きている状態から、なんとまた奇跡の復活を見せ、今度は私自身もK本さんの生命力の強さに驚かされるばかりであった。
嘘のように元気になり、また自分でご飯を食べられるまでに回復したK本さんに、私は聞いてみたことがある。
「具合が悪くてICUにいたときのこと覚えてる?」
多分覚えてないだろうと思って聞いたのだが、K本さんは「覚えてるよ」と言った。
「長い夢を見ているみたいだった。自分では3日間ぐらいのつもりだったけど、ずいぶん長い間ICUにいたんだね」
そのときは確か40日くらいICUにいたのだと思う。
K本さんの生命力が弱ければ、そのままずっと長い夢を見続け、そして覚めないまま遠くに行ってしまったのだろう。
しかしK本さんは元気になった。
きっとこれからまたどんどん回復していって、どんどん夢の記憶は薄れていってしまうのだろう。
そう思っていた。
しかし、5月のある日、私が連休明けで出勤してみると、またK本さんは急変しており、ICUで人工呼吸器をつけられて、体中が管だらけの状態に陥っていたのであった。
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