ひやりはっと?
2004年10月16日日々、「ひやりはっとを書くのはイヤだ」と思いながら仕事をしている私たちであるが、それでもなんだか書かなきゃいけないはめに陥ってしまうのがひやりはっとというものである。
つい先日もハマダさんが「抑制をゆるくしていたために患者さんが透析に使う管を抜いてしまった」ことによる罪で書かされているのを見た。
どうやら彼は2週連続ひやりはっとの刑だったらしい。
前の週に何をしたか知らないが。
彼がひやりはっとを書いていたデスクの上にボッキリ折られた鉛筆が3本残されていたことからもそのストレス度合いがわかるというものだろう。
その前は4階の人が「お風呂の温度調節を失敗した」ことによる罪で書かされたらしい。
一般浴(自分一人で入れる患者さんのお風呂)から帰ってきた患者さんが「風呂の下のほうが水やった」と怒って帰ってきて、その日のお風呂のお湯入れの担当の人と、その人が所属する4階の主任さんが各階を廻って謝っていたから、これはひやりはっとだろうなーと思っていたら案の定だったようだ。
しかし、実は私はこの病院で働き始めて2年になろうとしているが、今まで一度もひやりはっとの刑を受けたことがないのである。
これははっきり言って珍しいことだと思う。
私が一度も書いたことがないと言うとすごく驚かされる。
「ひやりはっと書かされるようなことしてないしー」と言ってしまえばそれまでだが、患者さんの体の異変を発見したとか、自分に落ち度がなくても書かなければいけないこともあるから、運も左右するであろう。
そして私はひやりはっともやむなしの失敗を、していないわけではないのだ。
同じようなことをしても、ひやりはっとを書かされやすい人と、書かされにくい人というのがいるのだ。
そして私はラッキーにも書かされにくい方の人らしい。
かつて、人が以前ひやりはっとを書かされたことと同じ失敗を2回したことがあるのだが(どっちも書かされるかどうか微妙なラインの失敗)、私の場合はなぜかお咎めなしであった。
2年働いて、療養病棟と一般病棟を両方経験している私は、一応病棟の補助看業務は一通りやってきたと思う。
そんな中で唯一の未経験が、ひやりはっとを書くことなのである。
ここまできたからにはこのままずっと書きたくないと思うのだが、もし書くとしたらミスではなく「発見」の方でありたいものだ。
患者さんの怪我を見つけて「ひやりはっと書きたくないから」と見て見ぬふりをしない自分でありたいと思う。
つい先日もハマダさんが「抑制をゆるくしていたために患者さんが透析に使う管を抜いてしまった」ことによる罪で書かされているのを見た。
どうやら彼は2週連続ひやりはっとの刑だったらしい。
前の週に何をしたか知らないが。
彼がひやりはっとを書いていたデスクの上にボッキリ折られた鉛筆が3本残されていたことからもそのストレス度合いがわかるというものだろう。
その前は4階の人が「お風呂の温度調節を失敗した」ことによる罪で書かされたらしい。
一般浴(自分一人で入れる患者さんのお風呂)から帰ってきた患者さんが「風呂の下のほうが水やった」と怒って帰ってきて、その日のお風呂のお湯入れの担当の人と、その人が所属する4階の主任さんが各階を廻って謝っていたから、これはひやりはっとだろうなーと思っていたら案の定だったようだ。
しかし、実は私はこの病院で働き始めて2年になろうとしているが、今まで一度もひやりはっとの刑を受けたことがないのである。
これははっきり言って珍しいことだと思う。
私が一度も書いたことがないと言うとすごく驚かされる。
「ひやりはっと書かされるようなことしてないしー」と言ってしまえばそれまでだが、患者さんの体の異変を発見したとか、自分に落ち度がなくても書かなければいけないこともあるから、運も左右するであろう。
そして私はひやりはっともやむなしの失敗を、していないわけではないのだ。
同じようなことをしても、ひやりはっとを書かされやすい人と、書かされにくい人というのがいるのだ。
そして私はラッキーにも書かされにくい方の人らしい。
かつて、人が以前ひやりはっとを書かされたことと同じ失敗を2回したことがあるのだが(どっちも書かされるかどうか微妙なラインの失敗)、私の場合はなぜかお咎めなしであった。
2年働いて、療養病棟と一般病棟を両方経験している私は、一応病棟の補助看業務は一通りやってきたと思う。
そんな中で唯一の未経験が、ひやりはっとを書くことなのである。
ここまできたからにはこのままずっと書きたくないと思うのだが、もし書くとしたらミスではなく「発見」の方でありたいものだ。
患者さんの怪我を見つけて「ひやりはっと書きたくないから」と見て見ぬふりをしない自分でありたいと思う。
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