9/21 アブラーズの心 忘れてたこと
2003年10月13日まず最初に「こんちわー。みんなー!」と私たちにご挨拶。
むこうのフミヤのライヴ会場からも歓声が上がっている。
そりゃそうだよな。
続いてトオルと話した。
別になんていうこともなく、きっと普段から仲がいいんだろうなというようなカンジだった。
そんな普通のカンジがなんかうれしい。
次は尚之と。
「母ちゃんは元気ね?オレはずっと帰っとらんけん」
「おー、元気になっとったよ。お前もたまには帰ってやれ」と兄弟トーク。
スクリーン上でフミヤの顔がちょっと陰になっていたので「兄ちゃん、ちょっと右に寄って」、「こう?」と無事解消。
「兄ちゃん」ってすごく自然なカンジで言っててよかった。
私は仲のよい兄弟姉妹というのが好きなのです。
そして裕二にかわって、裕二の着ているスーツが結婚式帰りみたいだとか、そんな話をしていた。
一番印象的だったのが、クロベエとの会話。
「やっしゃん、久しぶり」
「おお、ひさしぶり。何年ぶりね?」
「10年ぶり」
「バカ、お前スタジオとかで逢っとろーが」
というふうに、全く相変わらずのクロベエのナイスキャラクターぶりが懐かしくもうれしい。
最終的にはフミヤにも「もう、よかよか!おまえはそのまんまで」と言われていた。
それにしてもいいねー。
同じようにチェッカーズを好きだった人たちが、時を経てもそれぞれの場所で、チェッカーズのデビュー20周年をお祝いしているのだ。
福岡のフミヤのライヴに行っている人、ここに来ている人、どっちにも行けなかった人も、それぞれの場所できっと祝っているはずだ。
私もここしばらくずっとアブラーズのことを考えていたために、かなり重要なことを忘れていた。
今日は私の父の4回目の命日だったのだ。
あんなにつらくて悲しくて何も手につかないほどだったのに、たった4年でうっかり命日を忘れてしまうぐらい私は元気に立ち直った。
チェッカーズの解散だってそうである。
自分の薄情さを棚に上げるわけではないが、やっぱり時の流れは、誰にも平等で、そしてやさしいと思った。
むこうのフミヤのライヴ会場からも歓声が上がっている。
そりゃそうだよな。
続いてトオルと話した。
別になんていうこともなく、きっと普段から仲がいいんだろうなというようなカンジだった。
そんな普通のカンジがなんかうれしい。
次は尚之と。
「母ちゃんは元気ね?オレはずっと帰っとらんけん」
「おー、元気になっとったよ。お前もたまには帰ってやれ」と兄弟トーク。
スクリーン上でフミヤの顔がちょっと陰になっていたので「兄ちゃん、ちょっと右に寄って」、「こう?」と無事解消。
「兄ちゃん」ってすごく自然なカンジで言っててよかった。
私は仲のよい兄弟姉妹というのが好きなのです。
そして裕二にかわって、裕二の着ているスーツが結婚式帰りみたいだとか、そんな話をしていた。
一番印象的だったのが、クロベエとの会話。
「やっしゃん、久しぶり」
「おお、ひさしぶり。何年ぶりね?」
「10年ぶり」
「バカ、お前スタジオとかで逢っとろーが」
というふうに、全く相変わらずのクロベエのナイスキャラクターぶりが懐かしくもうれしい。
最終的にはフミヤにも「もう、よかよか!おまえはそのまんまで」と言われていた。
それにしてもいいねー。
同じようにチェッカーズを好きだった人たちが、時を経てもそれぞれの場所で、チェッカーズのデビュー20周年をお祝いしているのだ。
福岡のフミヤのライヴに行っている人、ここに来ている人、どっちにも行けなかった人も、それぞれの場所できっと祝っているはずだ。
私もここしばらくずっとアブラーズのことを考えていたために、かなり重要なことを忘れていた。
今日は私の父の4回目の命日だったのだ。
あんなにつらくて悲しくて何も手につかないほどだったのに、たった4年でうっかり命日を忘れてしまうぐらい私は元気に立ち直った。
チェッカーズの解散だってそうである。
自分の薄情さを棚に上げるわけではないが、やっぱり時の流れは、誰にも平等で、そしてやさしいと思った。
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