主任のお義兄さん?
2003年10月2日夜勤のときにそんな話をして、それから数日後のある日、主任が何冊かのアルバムを手に私の元にやってきた。
それはお義兄さんのお通夜や葬儀や偲ぶ会(というのを有志で開いてくれたそうである)のときの写真や、遺品のアルバムであった。
「私が見てもわからなかったり、見落としてる人がいるかもしれないから、見てわかる人がいたら教えて」というそのアルバムは私にとって宝の山のようなものであった。
「あ、この人は○○っていうバンドのVo.ですよ」
「この人は多分△△ですよね」
ちょっと見ただけでもボロボロと知っている人が出てくる。
偲ぶ会の写真はちょっと切なかった。
あるミュージシャンが、マイクの前に立ってスピーチしている。その後ろには「○○○○さんを偲ぶ会」という看板があり、マイクの横には棺が置いてあり、お義兄さんがその中で目を伏せていた。
ちょっと笑っているみたいで、反対側にチラッと映っている参加者の皆さんにも、そんな湿っぽい様子はなかった。
お義兄さんも、ホンのこの前までこっち側で楽しくやっていたのに、一瞬の事故で、今は棺の中で横たわっているのだ。
切ない話である。
でも、パーティーでマジックをやる仕事の人の葬儀に、こんなたくさんのミュージシャンが集まるということは、私にとっては驚きである。
私だったら、そのパーティーでマジックを見ているときは「すごーい!!」と思うが、たぶんそれっきりだろう。
それでも親しい関係が続いていたということは、きっとお義兄さんはとてもいい人だったのだろう。
続いて遺品のアルバムを見ていた。
これまたマニア垂涎の写真が多かったが、お義兄さん本人が映っているものは半分もなかったので、多分主にお義兄さんが撮影したものなのだろう。
そのアルバムの中ほどを過ぎたとき、私の目にトオルの笑顔が飛び込んできた。
「あっ!主任さん、これトオルですよ!」
やっぱりトオルとも知り合いだったんだ。
トオルがどこかのDJブースで楽しそうにDJをしている写真であった。
この写真欲しいー!と思ったが、モノがモノだけにねだるのいくら私でもはばかられる。
しかし、件の超人気有名メジャーバンドのお通夜の写真はある看護婦さんに焼き増しを依頼されていたようである。
すごい話だ。
でもやっぱり私は残念に思う。
一度でいいから主任さんのお義兄さんに逢ってみたかったな。
それはお義兄さんのお通夜や葬儀や偲ぶ会(というのを有志で開いてくれたそうである)のときの写真や、遺品のアルバムであった。
「私が見てもわからなかったり、見落としてる人がいるかもしれないから、見てわかる人がいたら教えて」というそのアルバムは私にとって宝の山のようなものであった。
「あ、この人は○○っていうバンドのVo.ですよ」
「この人は多分△△ですよね」
ちょっと見ただけでもボロボロと知っている人が出てくる。
偲ぶ会の写真はちょっと切なかった。
あるミュージシャンが、マイクの前に立ってスピーチしている。その後ろには「○○○○さんを偲ぶ会」という看板があり、マイクの横には棺が置いてあり、お義兄さんがその中で目を伏せていた。
ちょっと笑っているみたいで、反対側にチラッと映っている参加者の皆さんにも、そんな湿っぽい様子はなかった。
お義兄さんも、ホンのこの前までこっち側で楽しくやっていたのに、一瞬の事故で、今は棺の中で横たわっているのだ。
切ない話である。
でも、パーティーでマジックをやる仕事の人の葬儀に、こんなたくさんのミュージシャンが集まるということは、私にとっては驚きである。
私だったら、そのパーティーでマジックを見ているときは「すごーい!!」と思うが、たぶんそれっきりだろう。
それでも親しい関係が続いていたということは、きっとお義兄さんはとてもいい人だったのだろう。
続いて遺品のアルバムを見ていた。
これまたマニア垂涎の写真が多かったが、お義兄さん本人が映っているものは半分もなかったので、多分主にお義兄さんが撮影したものなのだろう。
そのアルバムの中ほどを過ぎたとき、私の目にトオルの笑顔が飛び込んできた。
「あっ!主任さん、これトオルですよ!」
やっぱりトオルとも知り合いだったんだ。
トオルがどこかのDJブースで楽しそうにDJをしている写真であった。
この写真欲しいー!と思ったが、モノがモノだけにねだるのいくら私でもはばかられる。
しかし、件の超人気有名メジャーバンドのお通夜の写真はある看護婦さんに焼き増しを依頼されていたようである。
すごい話だ。
でもやっぱり私は残念に思う。
一度でいいから主任さんのお義兄さんに逢ってみたかったな。
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