7/25 この町の初代

2003年8月13日
今日は月に一度のサザンクロスのブルースセッション。
先月来れなかったので2ヶ月ぶりである。
逢う人逢う人がみんな「ブラックボトムよかった」と言ってくれてSAKU幸せ。
特にフジサワくんが「うちの子も喜んでた」と言ってくれたのがとてもうれしかった。
あのときインゲンが連れていたのはどうやらフジサワくんの息子さんだったらしい。
そう言われてみればフジサワくんの幼稚園時代にとてもよく似ていた。
私とフジサワくんは幼稚園から中学までずっと一緒だったのである。
話は全然違うが、うちの親は両親共に「よそ者」である。
父は愛媛(の割に父方の親戚はうちの近辺に多いのだが、それは父がこちらに出てきたためになんとなく集まったせいである)、イチコは鹿児島の出身で、2人は東京で出会い結婚し、次女である私が生まれた直後になんの縁もゆかりもないこの地にやってきたのだ。だからいまだに私の本籍地は東京である。
そのため諸手続きがいろいろしちめんどくさいのだが、転籍もめんどくさいので放っているのだ。
よく考えると、亡き父の破天荒な人生をよく表している話である。
イチコもよく8歳年下の夫にいきなり「山口に移り住もう」と言われてついていったものだと思う。
そんなわけで私はずっとここに住んでいるが、子供の頃、よく「親子2代で○○小学校出身だ」とか「○○くんのお母さんと△△くんのお父さんが小学校の同級生だった」とか「担任の先生に、お母さんも子供時代習った」とかいう話を聞くと子供心にとても憧れた。
よく説明できないが、いいなぁーと思っていた。
私は「変わらない」ことに対する憧れが強いのだ。
そしてフジサワくんは結婚して子供ができても、子供の頃と同じ家に住んでいるようだし、今、息子さんが私とフジサワくんが通っていた幼稚園に行っているかどうかは知らないが、小学校は学区的に私たちの母校に通うことになるはずだ。
なんかうらやましい。
「この町にずっと住んで、私がこの町の初代になってやろう」と子供の頃ひそかに思っていた。
しかしずっとこの町にいるにもかかわらず、いつまでたっても一向に2代目ができる気配はない。
もしかすると、初代だけで終わってしまうのかしら?

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