洗礼?
2002年12月27日2回目の夜勤の日がやってきた。
やっぱり少し緊張しつつ、夕方に病院入りした。
夕食時、私はT田さんという患者さんの食介をした。
T田さんはとてもかわいらしいおばあちゃんである。
夜勤者が夜と翌朝のT田さんの食介をするようになっているのだが、最近T田さんはめっきり弱っていた。
私が入った頃、T田さんは、朝の食事についてくる牛乳を残しておいて、10時の水分補給の時間に飲んでいた。
ベッドをギャッジアップし、テーブルを出し、牛乳のパックにストローを刺して手渡すと、両手で牛乳パックを抱えるように持ち、チューチュー飲んでいた。
そしてT田さんが「もう出なくなった」というと、また補助看がストローの角度を変えてやり、角にたまった牛乳も残さず飲んでいた。
T田さんが牛乳を飲むところは本当にかわいらしく、水分補給の担当になった日のひそかな楽しみであった。
T田さんがご飯を食べる姿も、それはそれはかわいらしいものであった。
T田さんの食事はミキサー食で、ご飯もおかずも、それぞれミキサーにかけられどろどろになっている。
それを小鉢に移し、角が上に来るようにT田さんの両手に持たしてやると、T田さんはその小鉢の角に口をつけ一生懸命すする。
小鉢の中身が減ると私たちが継ぎ足してやり、T田さんはまたすする。
かわいい顔をして気が強く、時には憎まれ口をたたいたりするところもあるが、そういうところも含めてかわいいおばあちゃんであった。
しかし、いつの日からか、あんなに大好きだった牛乳をT田さんは飲まなくなった。
10時に牛乳を飲むとお昼ご飯が入らなくなるからというのだ。
実際、そのあたりからT田さんは食が進まなくなっており、そのかわりにお茶ばかり飲むようになっていた。
10時と3時のお茶の時間以外にもT田さんの部屋の前を通りかかるたびに「お茶が飲みたい」と言われ、1回1回かなりの量のお茶を飲んでいた。
それに比例してますます食事の摂取量は減っていった。
だんだん手で小鉢を持つこともおぼつかなくなり、今日の食事のときも、私がスプーンを口まで持っていき介助した。
数口食べたところで、もう欲しくないから寝せてくれと言われて、それでも「もうちょっとだけ食べようねー」とだましだましもう数口食べさせるような状態であった。
私はそんなT田さんがもう一度自分の手に持って牛乳を飲むかわいい姿が見たいものだと、切ない気持ちでT田さんの口に食べ物を運び続けた。
やっぱり少し緊張しつつ、夕方に病院入りした。
夕食時、私はT田さんという患者さんの食介をした。
T田さんはとてもかわいらしいおばあちゃんである。
夜勤者が夜と翌朝のT田さんの食介をするようになっているのだが、最近T田さんはめっきり弱っていた。
私が入った頃、T田さんは、朝の食事についてくる牛乳を残しておいて、10時の水分補給の時間に飲んでいた。
ベッドをギャッジアップし、テーブルを出し、牛乳のパックにストローを刺して手渡すと、両手で牛乳パックを抱えるように持ち、チューチュー飲んでいた。
そしてT田さんが「もう出なくなった」というと、また補助看がストローの角度を変えてやり、角にたまった牛乳も残さず飲んでいた。
T田さんが牛乳を飲むところは本当にかわいらしく、水分補給の担当になった日のひそかな楽しみであった。
T田さんがご飯を食べる姿も、それはそれはかわいらしいものであった。
T田さんの食事はミキサー食で、ご飯もおかずも、それぞれミキサーにかけられどろどろになっている。
それを小鉢に移し、角が上に来るようにT田さんの両手に持たしてやると、T田さんはその小鉢の角に口をつけ一生懸命すする。
小鉢の中身が減ると私たちが継ぎ足してやり、T田さんはまたすする。
かわいい顔をして気が強く、時には憎まれ口をたたいたりするところもあるが、そういうところも含めてかわいいおばあちゃんであった。
しかし、いつの日からか、あんなに大好きだった牛乳をT田さんは飲まなくなった。
10時に牛乳を飲むとお昼ご飯が入らなくなるからというのだ。
実際、そのあたりからT田さんは食が進まなくなっており、そのかわりにお茶ばかり飲むようになっていた。
10時と3時のお茶の時間以外にもT田さんの部屋の前を通りかかるたびに「お茶が飲みたい」と言われ、1回1回かなりの量のお茶を飲んでいた。
それに比例してますます食事の摂取量は減っていった。
だんだん手で小鉢を持つこともおぼつかなくなり、今日の食事のときも、私がスプーンを口まで持っていき介助した。
数口食べたところで、もう欲しくないから寝せてくれと言われて、それでも「もうちょっとだけ食べようねー」とだましだましもう数口食べさせるような状態であった。
私はそんなT田さんがもう一度自分の手に持って牛乳を飲むかわいい姿が見たいものだと、切ない気持ちでT田さんの口に食べ物を運び続けた。
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