元家人
2002年12月15日O崎さんという患者さんは、以前はO崎さんの家人さんだったらしい。
意味わかる?
つまり、O崎さんのダンナさんが入院していて、元気だった頃のO先さんはダンナさんに付き添って看護していたらしいのだ。
歌が好きで、看護の息抜きにカラオケに行き、病院に帰ってきた途端に倒れ(脳梗塞か?)、そのまま自身も入院することになってしまったらしい。
私が入った頃にはダンナさんは亡くなっており、O崎さんは、会話も意思疎通もできない、食事も経管栄養でオムツ使用の、全介助を要する患者さんになっていた。
だから私にとってはそんな状態のO崎さんがニュートラルな姿であり、「それがO崎さんだ」と思って接遇していた。
だから水中浴のときによその病棟の補助看さんが、「O崎さんがこうなったときはショックやったね」と言っていたのを聞いたときは、私に言っていたのではないにもかかわらず、つい詳細をせがんでしまった。
それによると、O崎さんはマウスケアをいやがって抵抗するダンナさんに「ほら、じっとしてちゃんときれいにしてもらわんにゃ!」と横から声掛けをしてくれていたらしいのだが、今となっては誰よりもマウスケアをいやがって抵抗するのはO崎さん本人である。
今日、昔のレクリェーションの記録を見ていると、3年ぐらい前の敬老の日にやったお楽しみ会のプログラムの中に「O崎さん家人による歌」というのがあった。
この「O崎さん家人」というのは、まさに私が言うところの「O崎さん」のことであろう。
チャキチャキおばさんだったであろう彼女の元気だった頃を想像する。
今、理解力も、判断力も、思考能力も、すべて失ったといわれ、ケアをいやがり憎悪のこもった目で私たちをにらみつけるO崎さんであるが、本当にわかっていないのかなあとよく考える。
マウスケアをいやがっていたダンナさんの気持ちを今になってわかっていたり、元気だった頃の自分をよく知っている他人から介護を受けるという、ある意味屈辱的なことに耐え忍んでいるからこその憎悪ではないかと思うのだ。
O崎さんは、今日も世の中すべてを敵に回すような目で私をにらんでいる。
意味わかる?
つまり、O崎さんのダンナさんが入院していて、元気だった頃のO先さんはダンナさんに付き添って看護していたらしいのだ。
歌が好きで、看護の息抜きにカラオケに行き、病院に帰ってきた途端に倒れ(脳梗塞か?)、そのまま自身も入院することになってしまったらしい。
私が入った頃にはダンナさんは亡くなっており、O崎さんは、会話も意思疎通もできない、食事も経管栄養でオムツ使用の、全介助を要する患者さんになっていた。
だから私にとってはそんな状態のO崎さんがニュートラルな姿であり、「それがO崎さんだ」と思って接遇していた。
だから水中浴のときによその病棟の補助看さんが、「O崎さんがこうなったときはショックやったね」と言っていたのを聞いたときは、私に言っていたのではないにもかかわらず、つい詳細をせがんでしまった。
それによると、O崎さんはマウスケアをいやがって抵抗するダンナさんに「ほら、じっとしてちゃんときれいにしてもらわんにゃ!」と横から声掛けをしてくれていたらしいのだが、今となっては誰よりもマウスケアをいやがって抵抗するのはO崎さん本人である。
今日、昔のレクリェーションの記録を見ていると、3年ぐらい前の敬老の日にやったお楽しみ会のプログラムの中に「O崎さん家人による歌」というのがあった。
この「O崎さん家人」というのは、まさに私が言うところの「O崎さん」のことであろう。
チャキチャキおばさんだったであろう彼女の元気だった頃を想像する。
今、理解力も、判断力も、思考能力も、すべて失ったといわれ、ケアをいやがり憎悪のこもった目で私たちをにらみつけるO崎さんであるが、本当にわかっていないのかなあとよく考える。
マウスケアをいやがっていたダンナさんの気持ちを今になってわかっていたり、元気だった頃の自分をよく知っている他人から介護を受けるという、ある意味屈辱的なことに耐え忍んでいるからこその憎悪ではないかと思うのだ。
O崎さんは、今日も世の中すべてを敵に回すような目で私をにらんでいる。
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