9/21 父の命日
2002年9月30日今日で父が死んで丸3年になる。
父が死んだときはメガトン級の悲しみであったが、正直言って、今では遠い昔のことに思える。
当時は「なんで私だけがこんなに悲しいのか。私の悲しみはなんで世間に溶けこんでいかないんだろう」とそればかり思っていた。
私のこの莫大な悲しみも社会全体に溶けこんでいけば、世間の人全員が「おつりが1円少なかった」程度のちょっとした凹みですむはずだ。
それならばみんな、私のために1円分の凹みを請け負ってほしい。
そんなふうに思っていた私も、今ではうっかり父の仏壇の花を絶やしがちになってしまうほど元気になった。
時間の流れというのはとてもやさしいものだ。
そして人間の治癒能力は私が思っていたよりも高かった。
それでも父の命日にはいろんなことを考える。
主に父が生きてきたことの意味である。
私は父になにも恩返しができないまま亡くしてしまったことが悲しかった。
そのことに関してずっと申し訳なく思っていたのだが、最近少し考え方が変わってきた。
私は父に育ててくれた恩を返すことができなかった。
父にしてみれば別に恩を返してもらいたくて育てたわけではないであろうが、それでもかなり苦労したと思われる。
私は父が21歳のときの子供である。
美幸ちゃんに至っては19歳のときである。
19歳で一家を構え、親の援助も受けずに私たち2人を育ててくれるのは大変だったと思う。
今の私の年のときには美幸ちゃんは中学生だったのだから、よく経済的に成り立っていたと感心する。
それがわかるから、私は父に恩を返したいと思っていた。
しかし、それも今となってはもう無理である。
それならば、今、自分より若い人たちによくしてあげればよいのではないかと最近思うようになった。
私より下の世代の人に、私にできることをしてあげて、その人たちがまた何年かして自分に余裕ができたら、そのときは私にではなく、また更に下の世代の人にそのときできることをしてあげたらいいのではないか。
「お父さんになんにもしてあげられなかった」とくよくよしているよりもそのほうが素敵だということに気付いた父の命日であった。
父が死んだときはメガトン級の悲しみであったが、正直言って、今では遠い昔のことに思える。
当時は「なんで私だけがこんなに悲しいのか。私の悲しみはなんで世間に溶けこんでいかないんだろう」とそればかり思っていた。
私のこの莫大な悲しみも社会全体に溶けこんでいけば、世間の人全員が「おつりが1円少なかった」程度のちょっとした凹みですむはずだ。
それならばみんな、私のために1円分の凹みを請け負ってほしい。
そんなふうに思っていた私も、今ではうっかり父の仏壇の花を絶やしがちになってしまうほど元気になった。
時間の流れというのはとてもやさしいものだ。
そして人間の治癒能力は私が思っていたよりも高かった。
それでも父の命日にはいろんなことを考える。
主に父が生きてきたことの意味である。
私は父になにも恩返しができないまま亡くしてしまったことが悲しかった。
そのことに関してずっと申し訳なく思っていたのだが、最近少し考え方が変わってきた。
私は父に育ててくれた恩を返すことができなかった。
父にしてみれば別に恩を返してもらいたくて育てたわけではないであろうが、それでもかなり苦労したと思われる。
私は父が21歳のときの子供である。
美幸ちゃんに至っては19歳のときである。
19歳で一家を構え、親の援助も受けずに私たち2人を育ててくれるのは大変だったと思う。
今の私の年のときには美幸ちゃんは中学生だったのだから、よく経済的に成り立っていたと感心する。
それがわかるから、私は父に恩を返したいと思っていた。
しかし、それも今となってはもう無理である。
それならば、今、自分より若い人たちによくしてあげればよいのではないかと最近思うようになった。
私より下の世代の人に、私にできることをしてあげて、その人たちがまた何年かして自分に余裕ができたら、そのときは私にではなく、また更に下の世代の人にそのときできることをしてあげたらいいのではないか。
「お父さんになんにもしてあげられなかった」とくよくよしているよりもそのほうが素敵だということに気付いた父の命日であった。
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