死ぬほどつらい失恋

2002年8月25日
ここ最近思っていたこと。
失恋がしたい。
どうにもならない恋に身をよじって泣いたりしたいと思っていた。
最近の私はミュージシャンにばかりうつつを抜かして、すっかりそういう気持ちから遠ざかっている。
かといって彼氏ができたりするのは、私も年が年だしややこしいことになってしまいそうだ。
この前とくダネで、恋愛関係のもつれで自爆した男のニュースをしていて、ゲストコメンテーターの室井佑月が「確かに失恋って死ぬぐらいつらいけど・・・」と言っていたのを聞いて、私はモヤッとした。
私は「死ぬほどつらい失恋」をしたことがなかったのだ。
確かに失恋はつらい。
でも死ぬほどではない。
室井佑月も高橋源一郎と別れるときそんなにつらかったのかしら。
いい年をして私が失恋に対する憧れを募らせていたそのとき、奇しくも私の大好きな友達が、その死ぬほどつらい失恋の渦中にいたのである。
久々に逢ったその友達に「そういえば、好きだって言ってた人どうなった?」と軽い気持ちで聞いた私は、ことの経過を聞いて驚いた。
大人になってからの失恋は、相手だけではなく、相手を取り巻く世界とか、相手から与えられた人間関係とか、そういうものまですべて一瞬にして失ってしまうから余計につらい。
友達から話を聞いてすぐは、「そうか、つらかったんだな」と切なく思う反面、うらやましい気持ちも少しあった。
でも、その友達と別れて、一人になってじっくり考えてみると、その友達のつらかったであろう気持ちや、「ホントに死ぬほどつらかった」と言っていた言葉が、「私の気持ち」となって胸に住み着いた。
時が解決するということは、無責任なことのようにも、とてもやさしい現象のようにも、私には思える。
とりあえず、友達は、きっとまたいつか誰かを好きになるだろう。
そして私は、もう、死ぬほどつらい失恋をしたいとは思えなくなっていた。

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