8/4 三半規管

2002年8月11日
昨日の夜は食事の後、深夜までトランプを楽しんだ平均年齢32,5歳の私たちであった。
私たちは本当にトランプをかなり楽しむ。
それは中3のとき私が休み時間に隣りのちぢのクラスに紛れ込んでまでトランプに興じていた頃と全く変わらない。
勝てば心から喜び、負ければ心から悔しがる。
一応賭けたりもするのだが1回10円である。3時間やって一番勝った私ですら儲けは50円である。
時給20円にもならない。
それでもうれしいのだ。

翌日は周りの人に驚かれるほど豪快に朝食を採り、昨日浮いたサービス券で、今度は足湯喫茶ではなく普通の喫茶コーナーでコーヒーを飲んで旅館を後にした。
この和多屋別荘、旅慣れして目が肥えている30オンナの私たちをもってしても文句のつけようがなかった。
劇的に「すばらしい!!」ということもなかったのだが、料理も美味しかったし、お湯も軟らかくてすべすべであった。
そしてなにより従業員の躾がよく行き届いていた。
若い女の子も素朴なカンジで常にホンワカした笑顔である。
私が男だったら「んっ、コイツわしに気があるんか?」と誤解してしまいそうである。
急に思い立って決めたにしてはとても良い宿であった。

帰りに門司港レトロに寄ってご飯を食べた。
港に船が浮いていて、その船自体がレストランなのだ。
今まで入ったことがなかったのでここにしようと、軽いノリで入ったのだが、入って気付いた。
揺れている。
考えてみれば当然のことだ。
海に浮いてる船なのだから揺れもしよう。
私は三半規管がめっぽう強く乗り物酔いも全くしない。
しかしビキとカエは席についた瞬間からすでに節目がちであった。
料理が来るまでは楽しい話をして気を紛らせていたが料理自体も「あんまり・・・」というカンジで、食べ終わるや否やそそくさと店を出た。
その後、日陰で海を見ながら、ちぢの浪費について取り締まる。
私から浪費を詰られる人は世界中でちぢ一人であろう。
ようは無駄づかいということの基準の問題である。
私はちぢにトシのことが好きならもっとトシに金を使えと言いたいのである。
服を買ったり、靴を買ったり、ダイエー戦を見に行くために仕事を休んだりするくせに、トシだと「大阪だから行かない」とか、「平日だから仕事が休めない」とか「お金がないから行けない」とか言うのだ。
今トシがこんなときなんだから、こんなときこそトシを支えてやれよ、と小6のときトシとの結婚を真剣に考えていた私は思うのである。
普通に考えれば、どう見ても私のほうがバカなのだが、ちぢは私の言いたいことがわかるらしく神妙に聞いていた。
最後にコンビニで全員分の肥前夢街道の写真をカラーコピーして1泊2日の旅終了。
今度はいつどこに行こうかねえ。

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