無涙閉店

2002年2月2日
今日で残務整理も終わり、あとは解雇の日までにそれぞれ制服や保険証などを返しに来る以外会社に来る用事はない。
正確に言うとパートさんは昨日までだったのだが、本格的にみんながそろうのはもう本当に今日までだった。
午前中は組合の話、退職金が労働債権として扱われることになりそうだということなど、まあ、要するにあんまりよくない話がほとんどであった。
その後、什器の片付けなどを続け、いよいよ最後の終礼が行われた。
ところで、まだ会社が危ないとささやかれた頃からずっと、私は今日のような日が来ることをたびたび想像しては「イヤだイヤだ」と頭を振ってその想像を追い払っていた。
いつかこんな日が来たら、会社のみんながばらばらになってしまうようなことになったら、私はきっと身を絞るようにして泣くだろうと思っていた。
しかし、民事再生法の申請をした日も、休業が決まった日も、「ああ、やっぱり」というカンジで涙は出てこなかった。
その間、稲垣メンバーの復帰や、トクさんちの娘の成長とか、そんなことでは泣いたが、自分のことについてはまったく泣けてこなかった。
その「身を絞って泣くXデー」はいったいいつだろうか。
1月31日が最もクサいと思っていたが、さわやかに終わった。
ならば今日ではないかと思っていたがその気配はなかった。
休憩のとき社員食堂に貼ってあった大家である会社からのメッセージ(また一緒に仕事ができる日が一日も早く来るように願っていますという内容だった。一応「休業」という形になっているので)を読んだときと、最後の終礼での、店長の〆の挨拶「お疲れ様でした」という声が涙声であったときがややヤバかったがとどまった。
他にも泣いている人は見られなかった。
私が泣いてないんだから、そりゃいないだろう。
無血革命ならぬ、無涙閉店である。
私はその件に関して何もかもがバタバタと決まり、あまりに急で、忙しかったからではないかと思っていた。
でも今日わかった。
それは違う。
私はこの会社が大好きだった。
大好きで、経営が傾いて休みが減っても、給料を減らされても、ボーナスが出なくなっても、この会社を離れる気はなかった。
とうとうここまで会社と付き合ったという満足感もあるし、会社を愛して尽くしたという自負もある。
私はこの会社を愛してがんばった。
がんばったから、もう未練はない。
そういうことである。

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