BYG→ソノラ?
2001年12月24日ライヴスタートまで、しばしの時間、泡盛を飲みながら「会社潰れネタ」で盛り上がる。
不謹慎を覚悟で言うと、会社が潰れて以来なかなか面白い毎日を送っている(*決して『楽しい毎日』ではないのでお間違えなき様)。
痛みを伴っているおかしさだから、余計に面白く感じるのだと思う。
お客さんがうちの商品券や割引券を躍起になって使っている。
そんなん今特に必要ないだろうが!というような贅沢品を「いい機会だから」と解約した友の会券で買ったりするお客さんで店内は潰れて以来ずっと混雑している。
「商品券、早く使っとかなきゃね」とお客さんに言われると「これからもずっと使えますからご安心ください」と言いながらもやはり悲しい。
そんな気持ちのときに、まだうちの会社が潰れたことに勘づいてないおばあさんがきて「商品券を売っているところはどこですか?」と聞く。
私は「うっ!」と絶句してしまう。
新聞やTVのニュース、ご覧になりませんでした?と思いつつ、案内所の場所を告げるべきかどうか迷うのだ。
確かにまだまだずっと使えるのだからたとえこのおばあさんに商品券を売ったとしても、決してこのおばあさんに迷惑をかけることはないと断言できる。
しかし、商品券をわざわざ買うということはご進物であろう。
このおばあさんから商品券をもらった人は、潰れた会社の商品券をもらってどう思うだろうか。
それになにより、潰れた今、商品券の販売をはたしてしているのであろうか。
かといってわざわざ「我が社は倒産したのですが、それでもよろしければ案内所のほうで販売しています。もしかしたらもう販売していないかもしれないのですが・・・」と言うのも変であろう。
考えあぐねて、結局私は何事もなかったようにさらりと案内所の場所を説明した。
しかしそれにしてもみんなが競うように商品券を使いまくっている中でのこのおばあさんのチャレンジャーな発言は、倒産絡みの痛みを伴うおかしいエピソードの中でも秀逸であった。
そんな話をアントンハイセルのみんなにしていると隣りのテーブル(奥さん、だんなさん、男の子2人のファミリー)の奥さんから声をかけられる。
きらら博にも来られていた静岡のご一家だった。
こういう風に、思わぬところで再会できるととってもうれしいものだ。
会社が潰れたら、私のこういう楽しい世界も全部消えてなくなるようで怖かったけど、そんなことなくてよかった。
不謹慎を覚悟で言うと、会社が潰れて以来なかなか面白い毎日を送っている(*決して『楽しい毎日』ではないのでお間違えなき様)。
痛みを伴っているおかしさだから、余計に面白く感じるのだと思う。
お客さんがうちの商品券や割引券を躍起になって使っている。
そんなん今特に必要ないだろうが!というような贅沢品を「いい機会だから」と解約した友の会券で買ったりするお客さんで店内は潰れて以来ずっと混雑している。
「商品券、早く使っとかなきゃね」とお客さんに言われると「これからもずっと使えますからご安心ください」と言いながらもやはり悲しい。
そんな気持ちのときに、まだうちの会社が潰れたことに勘づいてないおばあさんがきて「商品券を売っているところはどこですか?」と聞く。
私は「うっ!」と絶句してしまう。
新聞やTVのニュース、ご覧になりませんでした?と思いつつ、案内所の場所を告げるべきかどうか迷うのだ。
確かにまだまだずっと使えるのだからたとえこのおばあさんに商品券を売ったとしても、決してこのおばあさんに迷惑をかけることはないと断言できる。
しかし、商品券をわざわざ買うということはご進物であろう。
このおばあさんから商品券をもらった人は、潰れた会社の商品券をもらってどう思うだろうか。
それになにより、潰れた今、商品券の販売をはたしてしているのであろうか。
かといってわざわざ「我が社は倒産したのですが、それでもよろしければ案内所のほうで販売しています。もしかしたらもう販売していないかもしれないのですが・・・」と言うのも変であろう。
考えあぐねて、結局私は何事もなかったようにさらりと案内所の場所を説明した。
しかしそれにしてもみんなが競うように商品券を使いまくっている中でのこのおばあさんのチャレンジャーな発言は、倒産絡みの痛みを伴うおかしいエピソードの中でも秀逸であった。
そんな話をアントンハイセルのみんなにしていると隣りのテーブル(奥さん、だんなさん、男の子2人のファミリー)の奥さんから声をかけられる。
きらら博にも来られていた静岡のご一家だった。
こういう風に、思わぬところで再会できるととってもうれしいものだ。
会社が潰れたら、私のこういう楽しい世界も全部消えてなくなるようで怖かったけど、そんなことなくてよかった。
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