ディナーパーティー(ドリンク別)
2001年10月14日SASAさん仕切りでビュッフェ形式のディナーパーティーは始まった。
このあたりから私の「心を許した人にはとことん甘える」という度を超えた甘えグセが顔を出し、ビキに「料理とって来てぇー」、「あれやってぇー」と甘えたおし、ついには割り箸を手渡してくれたビキに「割ってぇー」と頼むまでに増長していた。
ドリンクは急ごしらえのカウンター(って言うか長机に白い布をかけた)で注文するのだが、ルームナンバーで後払いシステムだったので値段がわからなくてチェックアウトのときボラれていて払えなかったらどうしようとか思いつつビビリながら遠慮がちに4杯程度にとどめておいた。
料理の中にタラバガニがあってとてもおいしかったので、おかわりを取りに行ったが、パーティーのわりかし最初の方でカニの皿は空になっており、パーティー終了までついにその皿は空のままであった。
そのうちYASSYが来て、11月の来宇部計画について聞いたが、やはりボツになっていた。
まあ、この時期決まってないということはおそらくダメだろうと思っていたし、この先に希望の繋がる話も聞けたので満足した。
その後、すっごいいい話が聞けそうだったそのとき、SASAさんから声が掛かり、メンバーが順番にステージに上がってのご挨拶タイムとなってしまい、残念ながらその話は途中となってしまった。
その後、集合写真を撮って解散。
今回の旅にあたってはブラックボトム3:沖縄7と、かなり沖縄そのものに重点を置いていた私は、さっさと会場を後にし、ビキと国際通りに繰り出す。
別に何をするでもなく、昼間にやったサンバdeアミーゴの曲のリズムに合わせマラカスを振る真似をしながら国際通りの端から端まで練り歩いた。
傍目にはかなりの酔っぱらいに見えたことだろう。
酒を飲んでいるとはいえパレットくもじの前のバス停で明日北谷に行くバスの時間をしっかり下調べし、ますます明日が楽しみになった。
「梅田のすかいらーくで朝ご飯食べたのがおんなじ今日の出来事とは思えんねー」というぐらい、濃い濃い一日で、私とビキはお風呂から上がるや否や泥のように深い眠りについたのだった。
このあたりから私の「心を許した人にはとことん甘える」という度を超えた甘えグセが顔を出し、ビキに「料理とって来てぇー」、「あれやってぇー」と甘えたおし、ついには割り箸を手渡してくれたビキに「割ってぇー」と頼むまでに増長していた。
ドリンクは急ごしらえのカウンター(って言うか長机に白い布をかけた)で注文するのだが、ルームナンバーで後払いシステムだったので値段がわからなくてチェックアウトのときボラれていて払えなかったらどうしようとか思いつつビビリながら遠慮がちに4杯程度にとどめておいた。
料理の中にタラバガニがあってとてもおいしかったので、おかわりを取りに行ったが、パーティーのわりかし最初の方でカニの皿は空になっており、パーティー終了までついにその皿は空のままであった。
そのうちYASSYが来て、11月の来宇部計画について聞いたが、やはりボツになっていた。
まあ、この時期決まってないということはおそらくダメだろうと思っていたし、この先に希望の繋がる話も聞けたので満足した。
その後、すっごいいい話が聞けそうだったそのとき、SASAさんから声が掛かり、メンバーが順番にステージに上がってのご挨拶タイムとなってしまい、残念ながらその話は途中となってしまった。
その後、集合写真を撮って解散。
今回の旅にあたってはブラックボトム3:沖縄7と、かなり沖縄そのものに重点を置いていた私は、さっさと会場を後にし、ビキと国際通りに繰り出す。
別に何をするでもなく、昼間にやったサンバdeアミーゴの曲のリズムに合わせマラカスを振る真似をしながら国際通りの端から端まで練り歩いた。
傍目にはかなりの酔っぱらいに見えたことだろう。
酒を飲んでいるとはいえパレットくもじの前のバス停で明日北谷に行くバスの時間をしっかり下調べし、ますます明日が楽しみになった。
「梅田のすかいらーくで朝ご飯食べたのがおんなじ今日の出来事とは思えんねー」というぐらい、濃い濃い一日で、私とビキはお風呂から上がるや否や泥のように深い眠りについたのだった。
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