LIFE is ART
2001年9月30日私はエッセイやコラムの類を読むのが好きだ。
いろんな人のを読んで、影響を受けたり、すぐさま参考にしたりしているのだが、私がものすごく愛読しているにもかかわらず、一切なんの影響も受けず、参考にしたことがないのが「LIFE is ART」。
ジャイアンツのオフィシャルHPで連載されている桑田の日記である。
更新頻度でいうと日記というより月記であるが。
これがものすごく恥ずかしいのだ。
タイトルからして私はちょっと恥ずかしい。
そして一人称は「僕」。
33才の男が「僕」もどうかなと思うが、清原のように言ってもいないのに「ワイ」と書かれるよりマシであろう。
それにそれぐらいでいちいちつっこんでいてはキリがないほどなのだ。
何しろ二人称は「友」なのである。
「友ならわかってくれるよね?」とか「友には感謝しているよ」とか。
語り口調は昔のアイドルのソノシートとか、アルバムの曲の間に入っているサービストークさながらだ。
要するに古いのだ。
ファーム落ちし、引退かと報じられたときは「ペンの暴力って怖いよね・・・」などとやさぐれたあげく数行で終わり、それから1週間後にまた改めて「この前は途中で終わっちゃってごめんね。なんか続かなくて・・・」と始めているのだ。
そんならハナから書き直せよ。
圧巻なのは朝っぱらから日記を書いて、「あ、もう9時42分か。朝食を取って散髪に行く時間だ」と言った後「でもその前にちょっと武術の練習をしようかな」とご丁寧にもカンフー服かなんかに着がえて、変な棒を持ってポーズまで取っている写真まで載せている。
桑田は自分を全肯定してくれている人だけをターゲットにこの日記を書いているらしい。
そう多くはないと思うのだが。
そして私を含む桑田全肯定派は、日記を読みながら「あー、もう、また人目に触れるところでこんなことを!」と桑田が突っ込まれることに対して身をよじっているのだ。
もしくは「ふー、読んだのが私だったからよかったようなものの、他の人に読まれたらかなり痛いぞ」と心配する。
面白いとか、読みたいとかじゃなくて、読んでおかないと何を書いているか心配だから読まずにはいられないのだ。
なんなら私がゴーストで書きたいほどだ。
書かしてくれ!
いろんな人のを読んで、影響を受けたり、すぐさま参考にしたりしているのだが、私がものすごく愛読しているにもかかわらず、一切なんの影響も受けず、参考にしたことがないのが「LIFE is ART」。
ジャイアンツのオフィシャルHPで連載されている桑田の日記である。
更新頻度でいうと日記というより月記であるが。
これがものすごく恥ずかしいのだ。
タイトルからして私はちょっと恥ずかしい。
そして一人称は「僕」。
33才の男が「僕」もどうかなと思うが、清原のように言ってもいないのに「ワイ」と書かれるよりマシであろう。
それにそれぐらいでいちいちつっこんでいてはキリがないほどなのだ。
何しろ二人称は「友」なのである。
「友ならわかってくれるよね?」とか「友には感謝しているよ」とか。
語り口調は昔のアイドルのソノシートとか、アルバムの曲の間に入っているサービストークさながらだ。
要するに古いのだ。
ファーム落ちし、引退かと報じられたときは「ペンの暴力って怖いよね・・・」などとやさぐれたあげく数行で終わり、それから1週間後にまた改めて「この前は途中で終わっちゃってごめんね。なんか続かなくて・・・」と始めているのだ。
そんならハナから書き直せよ。
圧巻なのは朝っぱらから日記を書いて、「あ、もう9時42分か。朝食を取って散髪に行く時間だ」と言った後「でもその前にちょっと武術の練習をしようかな」とご丁寧にもカンフー服かなんかに着がえて、変な棒を持ってポーズまで取っている写真まで載せている。
桑田は自分を全肯定してくれている人だけをターゲットにこの日記を書いているらしい。
そう多くはないと思うのだが。
そして私を含む桑田全肯定派は、日記を読みながら「あー、もう、また人目に触れるところでこんなことを!」と桑田が突っ込まれることに対して身をよじっているのだ。
もしくは「ふー、読んだのが私だったからよかったようなものの、他の人に読まれたらかなり痛いぞ」と心配する。
面白いとか、読みたいとかじゃなくて、読んでおかないと何を書いているか心配だから読まずにはいられないのだ。
なんなら私がゴーストで書きたいほどだ。
書かしてくれ!
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