よい年寄り
2001年9月20日私のおばあちゃんはとてもよい年寄りだと思う。
年をとっていることに甘えていないのだ。
精神的にはイチコのほうが年寄りだと思う。
子供の頃から、やさしいおじいちゃんとしっかりしたおばあちゃんという意識があって、年にせいぜい2回しか会わないおばあちゃんに、それほど甘える気持ちもわかなかったし、おばあちゃんのほうにも孫を盲目的にかわいがる気配はなかった。
それでもお互い基本的な愛情で結ばれていることは確信していたと思う。
それは今も続いているのだが、やはり私も年をとってくるにつれて血の繋がりを重んじる気持ちになってきて、更におばあちゃんのことを好きになっている。
父は自分の親より先に死ぬという最大の親不孝をしたわけであるが、そのときもおばあちゃんはたいへん気丈であった。
今もおじ夫婦に必要以上に甘えることなく、独自の生活を貫いているようだ。
いつもなにかしら働いているおばあちゃんが8時15分になるとTVの前に座る。
「ちゅらさん」を見るためだ。
「毎朝見てるの?」と聞くとちょっと恥ずかしそうに「うーん、今回のはあんまり面白いとは思わんけんど、やっぱしこればっかりは見んとなあ」と笑って言った。
そして8時半になるとTVを消し、またなにかゴソゴソ働いていた。
ものすごく地に足がついているなあと思う。
そしておばあちゃんは週に2回ゲートボールに通っている。
私は今回おばあちゃんがゲートボールに行くときに被るように帽子を買って持っていっていた。
それを渡したときおばあちゃんは包みを開けもせず「お土産なんかええのに」と言っただけだった。
でも後でイチコにそっと「開けてみたら帽子じゃった。ゲートボールのときに被っていくのにええ。これからの季節にええようなのじゃった」と見せたらしい。
そして、帰りの船の中で食べるようにとおばあちゃんが持たせてくれた栗おこわは、私があげた帽子の包装紙で包んであって、私は自分も将来こんなよい年寄りになりたいなと強く願った。
年をとっていることに甘えていないのだ。
精神的にはイチコのほうが年寄りだと思う。
子供の頃から、やさしいおじいちゃんとしっかりしたおばあちゃんという意識があって、年にせいぜい2回しか会わないおばあちゃんに、それほど甘える気持ちもわかなかったし、おばあちゃんのほうにも孫を盲目的にかわいがる気配はなかった。
それでもお互い基本的な愛情で結ばれていることは確信していたと思う。
それは今も続いているのだが、やはり私も年をとってくるにつれて血の繋がりを重んじる気持ちになってきて、更におばあちゃんのことを好きになっている。
父は自分の親より先に死ぬという最大の親不孝をしたわけであるが、そのときもおばあちゃんはたいへん気丈であった。
今もおじ夫婦に必要以上に甘えることなく、独自の生活を貫いているようだ。
いつもなにかしら働いているおばあちゃんが8時15分になるとTVの前に座る。
「ちゅらさん」を見るためだ。
「毎朝見てるの?」と聞くとちょっと恥ずかしそうに「うーん、今回のはあんまり面白いとは思わんけんど、やっぱしこればっかりは見んとなあ」と笑って言った。
そして8時半になるとTVを消し、またなにかゴソゴソ働いていた。
ものすごく地に足がついているなあと思う。
そしておばあちゃんは週に2回ゲートボールに通っている。
私は今回おばあちゃんがゲートボールに行くときに被るように帽子を買って持っていっていた。
それを渡したときおばあちゃんは包みを開けもせず「お土産なんかええのに」と言っただけだった。
でも後でイチコにそっと「開けてみたら帽子じゃった。ゲートボールのときに被っていくのにええ。これからの季節にええようなのじゃった」と見せたらしい。
そして、帰りの船の中で食べるようにとおばあちゃんが持たせてくれた栗おこわは、私があげた帽子の包装紙で包んであって、私は自分も将来こんなよい年寄りになりたいなと強く願った。
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