できないこと
2001年6月29日他の人が普通にしていることが自分にはできない。
私は子供の頃からそういうことが多かった。
それはたいていとてもささいなことだった。
例えば幼稚園のとき、折り紙を切って魚を作ったとき、みんなどんどん作り上げていくのに私にはどうしてもできなかった。
詳しく説明してもよく伝わらないと思うので省くが、紙を互い違いに組むということが何度やってもできないのだ。
途中で友達のを見て「あっ、違う」と気づきあわててやりなおす。
だが、友達のと違うことはわかっても、どこが違うのかがわかっていないので、私は何度やっても間違え、最終的にはほとんど全部先生に作ってもらったと思う。
このときのことは今でもたまに夢に見る。
他にもこの程度のことは何度もあって、そのたび私は「何で私だけできないんだろう。私は異常なのだろうか」と焦り、いやーな汗をかいたり、涙をにじませたりした。
そういう、ささいながらも暗くなってしまうような「自分だけできない」ことの中で、唯一笑い飛ばせるものを紹介すると、私は「り」が言えないのである。
小中学校の同級生だったフクイは「つ」が言えない男だった。
「つ」がつく言葉がすべて言えないわけではなく「月」や「しつこい」など、いえる「つ」もあるのだが、前後の言葉の絡みなのか「たちつてと」のことは「たちってと」、消しゴムに「エル・しゅんすけ」と書いていたまっちゃん(松島)のことは「まっしま」と呼んでいた。
そのことをさんざんからかっていた私だが、そんな私も実は「り」が言えないのだ。
「らりるれろ」は言える。
私が言えないのは、単独の「り」と、「り」が2回重なる言葉である。
リリアン糸。言えない。
リリー・フランキー。言えない。
きりり。言えない。
実は子供の頃は言えていたのだ。
恥ずかしいので詳しくは言えないが、私が子供の頃キングコングが流行り、その真似をしているうちに私は「り」がいえなくなったのだ。
バカだなあ。
皆さんにもこういう、ばかばかしい「自分だけできないこと」はないだろうか。
興味深いのでもしあったら教えてほしい。
私は子供の頃からそういうことが多かった。
それはたいていとてもささいなことだった。
例えば幼稚園のとき、折り紙を切って魚を作ったとき、みんなどんどん作り上げていくのに私にはどうしてもできなかった。
詳しく説明してもよく伝わらないと思うので省くが、紙を互い違いに組むということが何度やってもできないのだ。
途中で友達のを見て「あっ、違う」と気づきあわててやりなおす。
だが、友達のと違うことはわかっても、どこが違うのかがわかっていないので、私は何度やっても間違え、最終的にはほとんど全部先生に作ってもらったと思う。
このときのことは今でもたまに夢に見る。
他にもこの程度のことは何度もあって、そのたび私は「何で私だけできないんだろう。私は異常なのだろうか」と焦り、いやーな汗をかいたり、涙をにじませたりした。
そういう、ささいながらも暗くなってしまうような「自分だけできない」ことの中で、唯一笑い飛ばせるものを紹介すると、私は「り」が言えないのである。
小中学校の同級生だったフクイは「つ」が言えない男だった。
「つ」がつく言葉がすべて言えないわけではなく「月」や「しつこい」など、いえる「つ」もあるのだが、前後の言葉の絡みなのか「たちつてと」のことは「たちってと」、消しゴムに「エル・しゅんすけ」と書いていたまっちゃん(松島)のことは「まっしま」と呼んでいた。
そのことをさんざんからかっていた私だが、そんな私も実は「り」が言えないのだ。
「らりるれろ」は言える。
私が言えないのは、単独の「り」と、「り」が2回重なる言葉である。
リリアン糸。言えない。
リリー・フランキー。言えない。
きりり。言えない。
実は子供の頃は言えていたのだ。
恥ずかしいので詳しくは言えないが、私が子供の頃キングコングが流行り、その真似をしているうちに私は「り」がいえなくなったのだ。
バカだなあ。
皆さんにもこういう、ばかばかしい「自分だけできないこと」はないだろうか。
興味深いのでもしあったら教えてほしい。
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