横暴の横暴
2001年5月27日以前にも書いたが、私と同じ部署に横暴な女がいて困っている。
協調性というものが微塵もなく、不必要に攻撃的で、計算高く、私はあそこまで自分のことしか考えてない人を他に知らない。
横暴の横暴の具体的な例を挙げると、読んだ皆さんを不愉快にしてしまうと思うので書かないが、たぶん世界でも10本の指には確実に入ると思われる横暴さなのだ。
横暴が聞いたら怒るだろうが、私は横暴のことがかわいそうでたまらない。
こんな性格になるまでには、本当にいろんなことがあったと思うのだ。
普通ではありえない。
そんな横暴も私に対してはものすごく腰が低い。
横暴の方が3年先輩なのに、私に対してやけに遜った姿勢を見せるのだ。
しかし、それも計算高さの表われなのだ。
ようするに、横暴は自分の周りの人を「手持ちの駒」としか思っていないのだ。
どうやったらそれを効率的に使えるか・・・それが横暴の「人間関係」の全てである。
私が怒って横暴に反旗を翻したら自分が危うくなるから、遜って持ち上げていろいろさせようという魂胆だ。
上司でも平気で怒鳴りつける横暴が、私に対しては声を荒げることすらない(あくまでも表向きには)のはそういうことなのだ。
そして、横暴は私がバリで7連休を取ることを私に対する大きな「貸し」だと思っているらしく、「でもアンタはバリに行くんでしょ」と言わんばかりに無言のプレッシャーをかけてくるのだ。
今日も横暴はザビエルを「ゴミぐらいちゃんと捨てといて下さい!!!!」と怒鳴りつけていた。
しかし、それは横暴の出したゴミなのだ。
本来横暴が捨てるべきもので、ザビエルが捨ててなかったからといって怒鳴られる筋合いのものではない。
それなのにザビエルは「はいっ!はいっ!すみません!!」と謝っている。
バカかお前は。
そんなんだから「なんで謝るんですか?おまえが捨てろって言えばいいじゃないですか」と私からも怒られるのだ。
ホントに情けない。
しかし、こんなムカつくヤツらを見ていて、私はやっとこういう気持ちになれた。
「早くバリに行きたい」
結果的には、横暴とザビエルによってバリ直前ブルーから救われたということか。
そうはいってもなぁ。
協調性というものが微塵もなく、不必要に攻撃的で、計算高く、私はあそこまで自分のことしか考えてない人を他に知らない。
横暴の横暴の具体的な例を挙げると、読んだ皆さんを不愉快にしてしまうと思うので書かないが、たぶん世界でも10本の指には確実に入ると思われる横暴さなのだ。
横暴が聞いたら怒るだろうが、私は横暴のことがかわいそうでたまらない。
こんな性格になるまでには、本当にいろんなことがあったと思うのだ。
普通ではありえない。
そんな横暴も私に対してはものすごく腰が低い。
横暴の方が3年先輩なのに、私に対してやけに遜った姿勢を見せるのだ。
しかし、それも計算高さの表われなのだ。
ようするに、横暴は自分の周りの人を「手持ちの駒」としか思っていないのだ。
どうやったらそれを効率的に使えるか・・・それが横暴の「人間関係」の全てである。
私が怒って横暴に反旗を翻したら自分が危うくなるから、遜って持ち上げていろいろさせようという魂胆だ。
上司でも平気で怒鳴りつける横暴が、私に対しては声を荒げることすらない(あくまでも表向きには)のはそういうことなのだ。
そして、横暴は私がバリで7連休を取ることを私に対する大きな「貸し」だと思っているらしく、「でもアンタはバリに行くんでしょ」と言わんばかりに無言のプレッシャーをかけてくるのだ。
今日も横暴はザビエルを「ゴミぐらいちゃんと捨てといて下さい!!!!」と怒鳴りつけていた。
しかし、それは横暴の出したゴミなのだ。
本来横暴が捨てるべきもので、ザビエルが捨ててなかったからといって怒鳴られる筋合いのものではない。
それなのにザビエルは「はいっ!はいっ!すみません!!」と謝っている。
バカかお前は。
そんなんだから「なんで謝るんですか?おまえが捨てろって言えばいいじゃないですか」と私からも怒られるのだ。
ホントに情けない。
しかし、こんなムカつくヤツらを見ていて、私はやっとこういう気持ちになれた。
「早くバリに行きたい」
結果的には、横暴とザビエルによってバリ直前ブルーから救われたということか。
そうはいってもなぁ。
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