子供の頃の夢
2001年5月2日ブラックボトムのHPに、お題にそってメンバーがコメントするコーナーがあるのだが、今回のお題は「子供の頃の夢」であった。
なので私もちょっと子供の頃の夢について語ろうと思う。
私は幼稚園の時に「バスガイドになりたい」と言った。
でも、別になりたかったわけではない。
幼稚園の先生に、将来何になりたいか聞かれたときに、スチュワーデス辺りはどうかと思った。
それは実際なりたいかどうかということよりも、先生の問いに対しての気の利いた返答としてである。
そしたらコニ(同級生)だったか誰かに先に言われてしまったのだ。
だから私は似たような路線でちょっとアレンジしてバスガイドと答えた。
しかし、高校3年生になって、就職活動を開始すると、私はホントにバスガイドになりたくなってきてしまったのである。
だが、バスガイドになるには家を出ねばならない。
通勤不可の遠い会社がほとんどなのと、唯一通勤がかろうじて可能な会社は、とりあえず最初の2年間ぐらいは寮生活が義務付けられていたからである。
イチコは「さびしいから」というものすごくわがままな理由で大反対した。
父は反対こそしなかったが、高看に行って、看護婦になって欲しかったようである。
今にして思えば、父にもう少し強く看護婦へのみちを薦めて欲しかったものだ。
担任の先生にも相談をしたが、私の高3の時の担任は麗子というばあちゃん先生で、しかも相当なSAKUびいきであった。
かなりあからさまにえこひいきされていた。
そんな麗子だから「SAKUちゃんをそんなイバラの道に進ませるわけにはいかないわ」とイチコ以上に反対された。
何でイバラかというと、今まで麗子が受け持った生徒でバスガイドになった人は皆一年以内で辞めているからという理由である。
なんじゃそりゃ。
今までのヤツらがダメだったからといって、私までダメと決めつけるな!
わたしはそんなヤツらとはガッツが違うんじゃい!
それに世のバスガイドは全員そんなフレッシュさんばかりか?
ベテランガイドだっていっぱいいるではないか。
その理由には承服しかねる。
そして私は信頼していたニブ先生に相談した。
ニブ先生は他校の剣道部の顧問で、当時インターハイの強化合宿などで一緒になっていたのである。
ニブ先生は、「そりゃあ、その先生の言い方では納得いかんわなあ」と言った。
でもニブ先生も私がバスガイドになるのは賛成できないという。
理由は私の性格がバスガイド向きではないからだという。
私がバスガイドになりたいと言うと、みんな「あー、似合いそう」とか「向いてるー」と言ってくれたし、自分でもむいていると思っていたのでニブ先生の答えに驚いた。
「バスガイドっていったって、みんながみんなガイドの話を聞いてくれるわけじゃない。どんなに一生懸命ガイドしたって、みんな自分達で話をしたり、勝手に騒いだりして聞いてなかったり、反応してくれなかったりする方が多いと思う。そんな時にSAKUの性格だったらすごく悲しくなってしまうんじゃないか。毎日毎日、今日も聞いてくれなかったと悩んでしまうのではないか。バスガイドは、ちょっとそういうところに鈍感なぐらいじゃないと勤まらないと思う」
というのがニブ先生の言い分だった。
おっしゃるとおリである。
こうして私は今の会社に就職することになったわけだが、こうして働きつつも、まだ私には夢がある。
それはちょっというのが恥ずかしいぐらい「夢」然とした夢なので、今はまだ内緒・・・ということにさせてほしい。
なので私もちょっと子供の頃の夢について語ろうと思う。
私は幼稚園の時に「バスガイドになりたい」と言った。
でも、別になりたかったわけではない。
幼稚園の先生に、将来何になりたいか聞かれたときに、スチュワーデス辺りはどうかと思った。
それは実際なりたいかどうかということよりも、先生の問いに対しての気の利いた返答としてである。
そしたらコニ(同級生)だったか誰かに先に言われてしまったのだ。
だから私は似たような路線でちょっとアレンジしてバスガイドと答えた。
しかし、高校3年生になって、就職活動を開始すると、私はホントにバスガイドになりたくなってきてしまったのである。
だが、バスガイドになるには家を出ねばならない。
通勤不可の遠い会社がほとんどなのと、唯一通勤がかろうじて可能な会社は、とりあえず最初の2年間ぐらいは寮生活が義務付けられていたからである。
イチコは「さびしいから」というものすごくわがままな理由で大反対した。
父は反対こそしなかったが、高看に行って、看護婦になって欲しかったようである。
今にして思えば、父にもう少し強く看護婦へのみちを薦めて欲しかったものだ。
担任の先生にも相談をしたが、私の高3の時の担任は麗子というばあちゃん先生で、しかも相当なSAKUびいきであった。
かなりあからさまにえこひいきされていた。
そんな麗子だから「SAKUちゃんをそんなイバラの道に進ませるわけにはいかないわ」とイチコ以上に反対された。
何でイバラかというと、今まで麗子が受け持った生徒でバスガイドになった人は皆一年以内で辞めているからという理由である。
なんじゃそりゃ。
今までのヤツらがダメだったからといって、私までダメと決めつけるな!
わたしはそんなヤツらとはガッツが違うんじゃい!
それに世のバスガイドは全員そんなフレッシュさんばかりか?
ベテランガイドだっていっぱいいるではないか。
その理由には承服しかねる。
そして私は信頼していたニブ先生に相談した。
ニブ先生は他校の剣道部の顧問で、当時インターハイの強化合宿などで一緒になっていたのである。
ニブ先生は、「そりゃあ、その先生の言い方では納得いかんわなあ」と言った。
でもニブ先生も私がバスガイドになるのは賛成できないという。
理由は私の性格がバスガイド向きではないからだという。
私がバスガイドになりたいと言うと、みんな「あー、似合いそう」とか「向いてるー」と言ってくれたし、自分でもむいていると思っていたのでニブ先生の答えに驚いた。
「バスガイドっていったって、みんながみんなガイドの話を聞いてくれるわけじゃない。どんなに一生懸命ガイドしたって、みんな自分達で話をしたり、勝手に騒いだりして聞いてなかったり、反応してくれなかったりする方が多いと思う。そんな時にSAKUの性格だったらすごく悲しくなってしまうんじゃないか。毎日毎日、今日も聞いてくれなかったと悩んでしまうのではないか。バスガイドは、ちょっとそういうところに鈍感なぐらいじゃないと勤まらないと思う」
というのがニブ先生の言い分だった。
おっしゃるとおリである。
こうして私は今の会社に就職することになったわけだが、こうして働きつつも、まだ私には夢がある。
それはちょっというのが恥ずかしいぐらい「夢」然とした夢なので、今はまだ内緒・・・ということにさせてほしい。
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