VIVA久留米 後編

2001年3月14日
その後、みんなで筑後川の河川敷に行った。
菜の花がとてもきれい。
ナーシサスSAKU&めぐは写真をバチバチ撮りまくった。
チェッカーズといえば久留米、久留米といえば筑後川、筑後川といえば菜の花で、言わばチェッカーズの象徴ともいえる光景に私は胸を熱くした。
恵美子ママはさっそく菜の花を摘みまくった。
おひたしにするらしい。
私達は手伝いもせずに携帯で写真を撮ったりして意味もなく笑い続けた。
そのうちに私の気持ちよさもピークに達し、とうとう菜の花畑の中で横になった。
すると誰かが恵美子ママに何か言っている声が聞こえてきた。
根っからのビビリ屋の私は、自分が寝ていることで誰かに文句を言われたのかと飛び起きた。
が、声をかけてきたのは大学生ぐらいの男女四人組で、どのぐらいの長さで摘んだらいいかを恵美子ママに尋ねてきたのであった。
恵美子ママは、何のてらいもなく元気いっぱいに声をかけてきた若い人達に、ホンの一瞬戸惑っていたようだが、すぐに「このぐらいの長さで取って、これこれこういうふうにして食べるとおいしいよ」と教えてあげていた。
なんか久留米っていいな。
恵美子ママもいつのまにかいっぱい摘んでいて、満足した私達は筑後川を後にした。
久留米まで車で行っていたのだから、私も菜の花を摘んで帰って父に供えたりすればよかったのだが、そのときは全然気づかなかった。

それからケーキでも食べようと「銀のすぷーん」に行った。
久留米に着いてここの前を通ったとき「ここ、前に連れてきてもらったよね―」とめぐと話していたのだ。
私はイチゴのミルフィーユにした。
恵美子ママのとめぐの頼んだのもちょこっともらったが、自分のが一番おいしかったので勝ち誇った。
恵美子ママはお店のマガジンラックから新聞を抜いて読んでいたのだが、帰るときに間違えて伝票をマガジンラックに戻し、新聞を持ってレジに向かおうとした。
私とめぐの3歩先を颯爽と歩いていた恵美子ママが、「あっ、間違った」と振りかえったのでマガジンラックをふと見ると、そこに伝票がちんまりと納まっていた。
そのシュールな光景に崩れるように爆笑した私であったが、恵美子ママは「いやあね」の4文字のみで片付けていた。
それから西鉄の駅まで送ってもらいお別れとなった。
ここ1・2年、体調が悪いといったり、実際あんまりよさそうではないカンジの恵美子ママであったが、今日は元気でうれしかった。
恵美子ママとの楽しい時間はきっとまだまだいっぱいあるなと思いつつ、去っていく車に手を振った。

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