そこんとこ4649!
2001年1月14日バンバンのHPに福島さんのエッセイのコーナーがある。
そのコーナーのタイトルは「そこんとこ4649!」である。
そのタイトルを目にしたとき「おお!やっぱ同世代」と思った。
福島さんは私より1つ年上だが、同じぐらいの年頃で、同じ時代を過ごした人ということが、こうした拍子にかいま見えてうれしいものだ。
読んでみるとなかなか面白く私はどんどん遡って読み尽くした。
福島さんはカジノ好きで、よく海外でミニマムベッとでのギャンブルをチマチマと楽しんでるらしい。
ミニマムベットを繰り返すのみなので、買っても負けてもそうたいした金額ではないらしいが、あるとき大勝ちしたようだ。
―――こういうことを言うとよく「おごって―」とかいう人がいるけど、そういう人キライ―――
と福島さんは書いていた。
「やっぱそうですよねぇ!!??」と、私は福島さんが今ここにいたらガッチリと握手を交わしたい衝動にかられた。
私もそういう人はイヤなのだ。
卑しいカンジがしないかい?
だってさー、そんなことを言うヤツに限って普段世話にもなんにもなってないのだ。
じゃあもし私が大負けしたらお前が街角に立ってカンパでも募ってくれるんかい?と言いたい。
私はたまにパチンコをするが、大勝ちしたら人にごちそうするようにしている。
おごってと言われなくても、自分の好きな人、世話になってる人にはなんかしたいと思うのだ。
ただし、私がもし本当に食うに困ったらできる範囲で助けてくれるだろうと思える人限定。
もしその気があったとしても相手から「おごって―」と言われたら萎える。
人の気持ちとはそんなものだろう。
だがしかし、私は最近ちょっと迷っていた。
私は愛想というものがない。
言っても言わなくてもいいようなことを言ったり言われたりするのが苦手なのだ。
例えば雨が降ってる時に「よく降りますね」とか。
今までこういうことを言うのはおばさんだ、とバカにしていたが、やっぱり自分が年齢的におばさんに近づいてくると、やっぱりそういうのも大事かもなと思うようになっていた。
年齢がらそういう、言っても言わなくてもいいような言葉(おごってー、など)も人と人が触れ合うという意味では有効かなと思えてきたのだ。
でも、福島さんのエッセイを読んで目が覚めた。
「おごって―」はやっぱり卑しい。
私も迷いを捨て、このまま愛想のない人生を送ることにした。
そのコーナーのタイトルは「そこんとこ4649!」である。
そのタイトルを目にしたとき「おお!やっぱ同世代」と思った。
福島さんは私より1つ年上だが、同じぐらいの年頃で、同じ時代を過ごした人ということが、こうした拍子にかいま見えてうれしいものだ。
読んでみるとなかなか面白く私はどんどん遡って読み尽くした。
福島さんはカジノ好きで、よく海外でミニマムベッとでのギャンブルをチマチマと楽しんでるらしい。
ミニマムベットを繰り返すのみなので、買っても負けてもそうたいした金額ではないらしいが、あるとき大勝ちしたようだ。
―――こういうことを言うとよく「おごって―」とかいう人がいるけど、そういう人キライ―――
と福島さんは書いていた。
「やっぱそうですよねぇ!!??」と、私は福島さんが今ここにいたらガッチリと握手を交わしたい衝動にかられた。
私もそういう人はイヤなのだ。
卑しいカンジがしないかい?
だってさー、そんなことを言うヤツに限って普段世話にもなんにもなってないのだ。
じゃあもし私が大負けしたらお前が街角に立ってカンパでも募ってくれるんかい?と言いたい。
私はたまにパチンコをするが、大勝ちしたら人にごちそうするようにしている。
おごってと言われなくても、自分の好きな人、世話になってる人にはなんかしたいと思うのだ。
ただし、私がもし本当に食うに困ったらできる範囲で助けてくれるだろうと思える人限定。
もしその気があったとしても相手から「おごって―」と言われたら萎える。
人の気持ちとはそんなものだろう。
だがしかし、私は最近ちょっと迷っていた。
私は愛想というものがない。
言っても言わなくてもいいようなことを言ったり言われたりするのが苦手なのだ。
例えば雨が降ってる時に「よく降りますね」とか。
今までこういうことを言うのはおばさんだ、とバカにしていたが、やっぱり自分が年齢的におばさんに近づいてくると、やっぱりそういうのも大事かもなと思うようになっていた。
年齢がらそういう、言っても言わなくてもいいような言葉(おごってー、など)も人と人が触れ合うという意味では有効かなと思えてきたのだ。
でも、福島さんのエッセイを読んで目が覚めた。
「おごって―」はやっぱり卑しい。
私も迷いを捨て、このまま愛想のない人生を送ることにした。
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