梨ください。
2001年1月3日私のここ数年の新年初泣きはほぼ間違いなく「お正月特番のビデオを見て」である。
確か去年は「新婚さんいらっしゃい」、おととしは「さんま、玉緒の夢叶えたろかスペシャル」だったと記憶している。
別にどれを見ても泣くので、要するにどれから見たかということなのだが。
そして今年は「初めてのおつかいスペシャル」であった。
私はこの「初めてのおつかい」が昔から大好きなのだ。
私は「子供嫌いで子供嫌われ」である。
需要と供給が一致しているので救われたというカンジ。
これが「子供好きで子供嫌われ」ではさびしいし、「子供嫌いで子供好かれ」ではうざい。
要するに子供とは相性イマイチなのだ。
だががんばる子供にはメロメロに弱い。
赤の他人の子供の幼稚園の運動会でも泣けるし、欽ちゃんの仮装大賞に小学生がクラス全員で出ていたらその時点でもう2点入れる。
別に審査員ではないが。
そんな私だから「初めてのおつかい」を見ると泣きまた泣きの連続だ。
正直言って最近「初めてのおつかい」は質が落ちていると思う。
やたら重い物を持たせたり、難しいことをさせたりしすぎである。
電車やバスに乗るのはいいが、小さい子に乗り換えまでさせるのは難しいだろう。
うちのイチコなど60歳だが絶対ムリだ。
昔のシンプルなおつかいのほうがそのぶんストレートに胸に訴えるものがあった。
おつかいは決して難易度を競うべきではないのだ。
まぁ、それでも見たら泣いちゃうのだが。
今日私が胸をうたれたおつかいは、4、5歳の女の子が梨を買いに行くのである。
それはメインのおつかいではなく、いろいろあったあとついでのようなものだったのだが、私はその「ついで」にやられたのだ。
果物屋さんではなく自由市場みたいなところに行くのである。
おばさんが道に敷物を敷いて売っている梨屋さんでとてもおいしそうだ。
商品がなくなった時点で店じまいという気楽な商売のようで、女の子が買いに行ったときにはもう商品は残り少なであった。
「梨ください」そう言えば直ちにおつかい完了である。
だがなかなか言えないのだ。これが。
いったんはあきらめて帰りかけるのだが、また意を決しておばさんのところに行く。
そして勇気をふりしぼって言うのだ。
「梨ください」
言った後のホッとした表情が徐々に「おつかいができた」という誇らしげな表情に変わっていく。
たったこれだけのことだが私にとっては泣けた。
なぜなら、私だったら言えないからだ。
忘れもしない19歳のときのことだ。
ぴちぴちの新入社員だった私はバイヤーに「POP室に行ってパネルをもらって来て」と命じられた。
私はパネルというものがどういうものかも知っていたし、POP室の人に告げればパネルがもらえることも知っていた。
しかし、POP室に行った私はどうしても「パネル下さい」と言えなかった。
なぜ言えないのか自分でもよくわからないのだが、泣きたいほどの気持ちで言えなかった。
でも手ぶらでは帰れないし・・・。
あのときの追い詰められたような気持ちはいまだに忘れられない。
結局バイヤーに「パネルはないって言われました」と嘘をついた。
しかし、そんなもん、ないわけないものなのだ。
結局バイヤーが自分で取りに行った。
悲しかった。
さすがに三十路の今は「梨ください」は言える。
「パネルください」も言えると思う。
でも、「梨ください」的な言葉で言えない言葉はまだまだいっぱいある。
でもこれからは私もあの女の子を見習って、勇気をふりしぼっていえるようになりたいと思った。
確か去年は「新婚さんいらっしゃい」、おととしは「さんま、玉緒の夢叶えたろかスペシャル」だったと記憶している。
別にどれを見ても泣くので、要するにどれから見たかということなのだが。
そして今年は「初めてのおつかいスペシャル」であった。
私はこの「初めてのおつかい」が昔から大好きなのだ。
私は「子供嫌いで子供嫌われ」である。
需要と供給が一致しているので救われたというカンジ。
これが「子供好きで子供嫌われ」ではさびしいし、「子供嫌いで子供好かれ」ではうざい。
要するに子供とは相性イマイチなのだ。
だががんばる子供にはメロメロに弱い。
赤の他人の子供の幼稚園の運動会でも泣けるし、欽ちゃんの仮装大賞に小学生がクラス全員で出ていたらその時点でもう2点入れる。
別に審査員ではないが。
そんな私だから「初めてのおつかい」を見ると泣きまた泣きの連続だ。
正直言って最近「初めてのおつかい」は質が落ちていると思う。
やたら重い物を持たせたり、難しいことをさせたりしすぎである。
電車やバスに乗るのはいいが、小さい子に乗り換えまでさせるのは難しいだろう。
うちのイチコなど60歳だが絶対ムリだ。
昔のシンプルなおつかいのほうがそのぶんストレートに胸に訴えるものがあった。
おつかいは決して難易度を競うべきではないのだ。
まぁ、それでも見たら泣いちゃうのだが。
今日私が胸をうたれたおつかいは、4、5歳の女の子が梨を買いに行くのである。
それはメインのおつかいではなく、いろいろあったあとついでのようなものだったのだが、私はその「ついで」にやられたのだ。
果物屋さんではなく自由市場みたいなところに行くのである。
おばさんが道に敷物を敷いて売っている梨屋さんでとてもおいしそうだ。
商品がなくなった時点で店じまいという気楽な商売のようで、女の子が買いに行ったときにはもう商品は残り少なであった。
「梨ください」そう言えば直ちにおつかい完了である。
だがなかなか言えないのだ。これが。
いったんはあきらめて帰りかけるのだが、また意を決しておばさんのところに行く。
そして勇気をふりしぼって言うのだ。
「梨ください」
言った後のホッとした表情が徐々に「おつかいができた」という誇らしげな表情に変わっていく。
たったこれだけのことだが私にとっては泣けた。
なぜなら、私だったら言えないからだ。
忘れもしない19歳のときのことだ。
ぴちぴちの新入社員だった私はバイヤーに「POP室に行ってパネルをもらって来て」と命じられた。
私はパネルというものがどういうものかも知っていたし、POP室の人に告げればパネルがもらえることも知っていた。
しかし、POP室に行った私はどうしても「パネル下さい」と言えなかった。
なぜ言えないのか自分でもよくわからないのだが、泣きたいほどの気持ちで言えなかった。
でも手ぶらでは帰れないし・・・。
あのときの追い詰められたような気持ちはいまだに忘れられない。
結局バイヤーに「パネルはないって言われました」と嘘をついた。
しかし、そんなもん、ないわけないものなのだ。
結局バイヤーが自分で取りに行った。
悲しかった。
さすがに三十路の今は「梨ください」は言える。
「パネルください」も言えると思う。
でも、「梨ください」的な言葉で言えない言葉はまだまだいっぱいある。
でもこれからは私もあの女の子を見習って、勇気をふりしぼっていえるようになりたいと思った。
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