沖縄ひとり旅 <12/10 >
2000年12月16日 ブラックボトム目が覚めると6時半だった。
3時頃寝たのに立派なもんである。
今日はひめゆりの塔に行くので早めにホテルを出なくてはいけない。
昨夜調べたところによるとけっこう遠いのだ。
朝食が7時からなのでそれまでに帰り支度をささっとすませた。
そして8時少し前にチェックアウトした。
まず空港に行って、ロッカーに荷物を入れた。
身軽になっていざ糸満へ。
なぜひめゆりの塔かというと、昨日ヒューマンステージを後にする時に建石さんがIGGYのおすすめスポットであることを教えてくれたのだ。
「じゃあ、明日行きます」私は即答した。
建石さんはただ単に「ひめゆり」と言っていたのでもしかするとひめゆりの塔ではなくひめゆりパークである可能性もあるが、やはりここはひめゆりの塔ととるべきだろう。
それにしてもひめゆりの塔か。
IGGYの引き出しは広いなぁと思う。
IGGY道は難しく険しいが、いつか極めたい。
今日はその第一歩である。
バスで小一時間。それから乗り換えて20分ぐらい。
車窓の景色は飽きることがなかった。
初めての町は気持ちがいい。
のんびりした気持ちになり、うとうとっとしかかったところでひめゆりの塔についた。
私はひめゆりの塔に関して何の予備知識もなかった。
戦争に関して、何か若い女の子達が悲しい目に遭ったらしいということぐらいしかわかっていなかった。
今までに知る機会はたくさんあったと思うが無意識のうちに避けていたのだ。
私は人一倍想像力があり、記憶力も良いほうで、悲しい話を見聞きすると何度もくり返し思い出しては泣くのだ。
だから悲しそうな話は極力近寄らないようにしているのだ。
しかし私はしらなすぎるってヤツだった。
こんなに悲しくて切なくて理不尽な話だったのか。
小学校の修学旅行で広島の原爆資料館へ行ったが、そこよりも心理面をよくフォローしていたのでよけいに悲しかった。
ひめゆりの乙女たち一人一人の顔写真の下に、名前と、年齢と、どういう最期であったかが書かれている。
なにやら峠越えをしているときに米兵に見つかり「私は皇国のオンナだ。殺せ!」と詰め寄り眉間を撃たれたという女の子もいた。
17歳でその覚悟はすごいと思う。
でも撃った米兵はもっとすごいと思う。
普通撃たないだろう。しかも眉間だ。
武器もなんにももってない若い女の子を撃ち殺すことのほうが普通だという戦争とはつくづく怖いと思う。
生き延びた人の手記や、当時の作文も展示されていた。
私はいちいち熟読しては泣いた。
修学旅行の高校生がロクに展示も観ずにだらだらと歩いている。
こんなヤツらには私の涙を見られたくないが涙は出る。
もう私はちょっと横になりたいと思うぐらい泣き濡れた。
来てよかったが、一度で充分だと思った。
それからまた国際通りに戻ってお土産を買ったり、冨士家でぜんざいを食べたりして最後の沖縄を満喫した。
この3日間はとても濃く、楽しかった。
次に沖縄に来れるのはいつであろうか。
3時頃寝たのに立派なもんである。
今日はひめゆりの塔に行くので早めにホテルを出なくてはいけない。
昨夜調べたところによるとけっこう遠いのだ。
朝食が7時からなのでそれまでに帰り支度をささっとすませた。
そして8時少し前にチェックアウトした。
まず空港に行って、ロッカーに荷物を入れた。
身軽になっていざ糸満へ。
なぜひめゆりの塔かというと、昨日ヒューマンステージを後にする時に建石さんがIGGYのおすすめスポットであることを教えてくれたのだ。
「じゃあ、明日行きます」私は即答した。
建石さんはただ単に「ひめゆり」と言っていたのでもしかするとひめゆりの塔ではなくひめゆりパークである可能性もあるが、やはりここはひめゆりの塔ととるべきだろう。
それにしてもひめゆりの塔か。
IGGYの引き出しは広いなぁと思う。
IGGY道は難しく険しいが、いつか極めたい。
今日はその第一歩である。
バスで小一時間。それから乗り換えて20分ぐらい。
車窓の景色は飽きることがなかった。
初めての町は気持ちがいい。
のんびりした気持ちになり、うとうとっとしかかったところでひめゆりの塔についた。
私はひめゆりの塔に関して何の予備知識もなかった。
戦争に関して、何か若い女の子達が悲しい目に遭ったらしいということぐらいしかわかっていなかった。
今までに知る機会はたくさんあったと思うが無意識のうちに避けていたのだ。
私は人一倍想像力があり、記憶力も良いほうで、悲しい話を見聞きすると何度もくり返し思い出しては泣くのだ。
だから悲しそうな話は極力近寄らないようにしているのだ。
しかし私はしらなすぎるってヤツだった。
こんなに悲しくて切なくて理不尽な話だったのか。
小学校の修学旅行で広島の原爆資料館へ行ったが、そこよりも心理面をよくフォローしていたのでよけいに悲しかった。
ひめゆりの乙女たち一人一人の顔写真の下に、名前と、年齢と、どういう最期であったかが書かれている。
なにやら峠越えをしているときに米兵に見つかり「私は皇国のオンナだ。殺せ!」と詰め寄り眉間を撃たれたという女の子もいた。
17歳でその覚悟はすごいと思う。
でも撃った米兵はもっとすごいと思う。
普通撃たないだろう。しかも眉間だ。
武器もなんにももってない若い女の子を撃ち殺すことのほうが普通だという戦争とはつくづく怖いと思う。
生き延びた人の手記や、当時の作文も展示されていた。
私はいちいち熟読しては泣いた。
修学旅行の高校生がロクに展示も観ずにだらだらと歩いている。
こんなヤツらには私の涙を見られたくないが涙は出る。
もう私はちょっと横になりたいと思うぐらい泣き濡れた。
来てよかったが、一度で充分だと思った。
それからまた国際通りに戻ってお土産を買ったり、冨士家でぜんざいを食べたりして最後の沖縄を満喫した。
この3日間はとても濃く、楽しかった。
次に沖縄に来れるのはいつであろうか。
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