いやー、やっと逢えたなぁ。
ホッとする気持ちとワクワクする気持ちの交錯する中、メンバーの点呼をとる(無論心の中で)。
1・2・3・4・5・6・7・・・・?
1・2・3・4・5・6・7・・・・?
何度数えても7人しかいないのでけっこう慌てた。
誰が足りないのだろう、と照らし合わせてみてやっと7人であってるのだと気付いた。
私はチェッカーズ時代のくせでブラックボトムを7人で計算するくせがあった。
昔は入り待ちをしていて「よし!これで7人全員入った」と、コーくんの入りを待たずにご飯を食べに行ってしまったリして、後で気付いてずいぶん悔やんだりしたものだった。
そんな私も徐々にチェッカーズの呪縛が解け、私の中に「8人」という人数が強く定着し始めたころ、Mitchがブラックボトムを脱退したのだった。
そんなわけで、私はときどきブラックボトムの人数がわからなくなってしまうのだ。
ともあれ全員揃っているので安心していると、私に声をかける人があった。
コズエさんだった。
声が出ないので充分な挨拶ができず残念だった。
しばらくその場で演奏し、その後パレードが始まった。
今回私は望遠つきの写るんですを持ってきていた。
私はあまりライヴ写真は撮らない方だ。
というか、演奏が始まると写真どころではなくなってしまう。
ファインダー越しに見る時間が惜しいというカンジ。
でも今回は友達も誰も来てないので、ちょっと写真でも撮って、来てない人に雰囲気だけでも掴んでもらうのが来た者の務めじゃないかなと思ってカシャカシャ撮ってみた。
でもパレードが始まるともうついていくのが楽しくって、先回りして写真を撮るなんてことは全くできなかった。
ジャーナリスト失格だわ。
牧志あたりからパレットくもじまでけっこう長いパレードであった。
後をついてくる人はあまりいなかったが、露店商の人が縦笛やブルハで入ってきて、さすがに音楽が生活に密着している土地だと感心した。
縦笛の人が入ってきたとき、YASSYがすごくうれしそうに絡んでいって、とてもいいカンジで泣きたくなった。
ビルの2Fから手を振っているお姉さんの姿もチラリと視界に入ってきたりして、私の心の中は幸せとしか言いようのないカンジだった。
途中でおばあさんが、ノリにノッてる私の肩をポンと叩き「なんの宣伝?」と聞いた。
チンドン屋だと思ったらしい(笑)。
まあ、パレードの後ろで明日のライヴのフライヤを配っていたので、ライヴの宣伝といえば宣伝なのだが。
パレットくもじ前に着きパレード終了。
しばらく後にここの特設ステージでやるらしい。
メンバーがバラ行動をし始めたのでMONKYに接近し渡し物をした。
MONKYアルバム第2集である。
「お、特製のやな」と言ってくれたのでうれしかった。
沖縄で渡すと荷物になるからイヤかなぁと少し心配していたのだ。
コーくんとも「声枯れ」をテーマに少し話をした。
コーくんと話しているうちに喉の調子も少しだけよくなってきて一語一語区切って言えばなんとか聴き取ってもらえるぐらいになった。
調子に乗った私はIGGYのところに行った。
渡し物(手紙と宝くじ)をして、絞り出すような声で、今夜と明日のスケジュールを訊ねてみた。
・・・・・・・・・。
やっぱりなんかそっけないカンジ。
ベッコベコに凹みつつも、「でもちょこっとでも話せてよかった」とひそかに喜んでいる自分が悲しい。
あー、イヤだイヤだと、心の中でテレサテンの別れの予感を歌ったりした。
「大丈夫。何も言わなくてもわかってるよ。そういうシャイなところがIGGYの持ち味なんだもんね。そっけなくされても、わかってるから大丈夫」と、いつもそういう気持ちでいる私だが、言ってもらわないとわからないときもある。
それでもステージが始まって、ステージ上のIGGYの笑顔を見ると「参りました」という気持ちになる。
私が勝手に好きになって勝手につきまとっているのにガタガタ言ってすみませんでしたと思ってしまうのだ。
パレットくもじのステージが終わり、北谷へ移動。
何しろ私はバスで行かなくてはいけないので、メンバーより先にパレットを後にした。
わたしはメンバーに後ろを見せることはめったにないので、かなり後ろ髪をひかれた。
パレットから少し戻ったところからバスに乗ったので、走り始めるとすぐバスの窓からメンバーの姿が見えた。
またすぐ逢えるのになんだかさびしいような、なんともいえず嬉しいような、不思議な気持ちで国際通りを後にした。

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