去年の10月16日の昼過ぎ頃から、いきなり猛烈な悲しみが私を襲ってきた。
まるでカチャッとチャンネルがかわったかのように、それはあからさまであった。
じっとしているとウッと苦しくなり、いつもいつもどこかに閉じ込められているような閉塞感があった。
昼ご飯の時間が特に苦しかった。
ご飯が食べるのが苦しかった。
何を食べても美味しくなく、一口食べてはため息をつくありさまであった。
仕事なんかもちろん手につかなかった。
物欲もなく、買い物をする気も起きなかった。
TVを見ても面白くない。
ニュースで少年犯罪や世知辛い事件が報じられるたびに泣いていた。
本を読んでも苦しいばかり。
苦しくて苦しくて、私も父について死にたいとまで思った。
これから自分はどうなるのかと思うと胸が張りさけんばかりだった。
イチコが死んで、美幸ちゃんが死んでひとりぼっちになったらどうしよう。
イチコがボケたらどうしよう。
私も美幸ちゃんもずっと独身だったら、もしイチコが病気になっても充分なことをしてあげられない。
誰でもいいから結婚した方がいいのだろうか。
でも、したくない。
今の会社が私を定年まで雇ってくれるとは思えない。
そしたら私はどうしたらいいの。
今から何か手に職をつけた方がいいのだろうか。
いやそれよりやっぱり結婚しなきゃいけないの?
その頃私はいつも人と自分を比べていた。
そして誰と比べても、自分の方が劣っていると思った。
誰を見ても、その人の親が生きているのかどうかが気になった。
親を失った人を見れば、かたっぱしからどのくらいで元気になれたかを聞きまくった。
家に帰れば父の遺影の前で何本も何本も線香ばかりあげ、イチコや美幸ちゃんに「いつになったら元気になれると思うか」としつこく付きまとっていた。
仕事も手につかないのだが、休みの日もつらかった。
家で一人でいると閉塞感で押しつぶされる。
あてもなくどこまでも歩いてみたり、用事もないのに電車に乗ってみたり、誰かれなく「お父さんが死んで悲しい」と訴えたりした。
トオルともブラックボトムとも、もう逢えないような気がしていた。
何を見ても、何を聞いてもつらいばかりだったその頃、私が一番恐れていたことは、トオルやブラックボトムに逢っても楽しくなかったらどうしようということだった。
1日も早く「心から笑う」ことを思い出したかった。
そんな私に対して周りの人はあまりにも優しかった。
ふだん私が嫌っていた人までが私のことを心配してくれて、今まで本当にごめんなさいというカンジであった。
仕事が手につかなくて何もできなかったとき、当時の私の年下の上司は「誰でも調子が悪いときはあるから、そんなときは僕たちに甘えてくれたらいいですよ。そういうときのために職場の仲間がいて、助け合うように出来ているんだから」と言ってくれた。
とてもありがたかった。
私が元気になったらそのときは恩返しにみんなを助けてあげようと思った。
それから私は周りの人に甘えまくった。
甘えてはいけないと気を張っていつまでも苦しんでいるよりも、周りの人に甘えてでも私が早く元気になることが、周りの人のためにもなると思った。
本当に苦しいのは1ヶ月ぐらいだった。
一日一日薄皮を剥ぐように元気になっていき、今の私は誰と比べてもちょっと負けないぐらい幸せである。
父の葬儀のとき、みんなが言っていた父の長所は
「面倒見がよく、たとえ自分はなくても人のために何かしてあげたいという人だった」ということだった。
それはイチコがよく私と父の共通点としてあげるところである。
父から受け継いだ長所を伸ばすことが、父が死後も生きつづけるということになるのではないかと思う父の一周忌であった。
まるでカチャッとチャンネルがかわったかのように、それはあからさまであった。
じっとしているとウッと苦しくなり、いつもいつもどこかに閉じ込められているような閉塞感があった。
昼ご飯の時間が特に苦しかった。
ご飯が食べるのが苦しかった。
何を食べても美味しくなく、一口食べてはため息をつくありさまであった。
仕事なんかもちろん手につかなかった。
物欲もなく、買い物をする気も起きなかった。
TVを見ても面白くない。
ニュースで少年犯罪や世知辛い事件が報じられるたびに泣いていた。
本を読んでも苦しいばかり。
苦しくて苦しくて、私も父について死にたいとまで思った。
これから自分はどうなるのかと思うと胸が張りさけんばかりだった。
イチコが死んで、美幸ちゃんが死んでひとりぼっちになったらどうしよう。
イチコがボケたらどうしよう。
私も美幸ちゃんもずっと独身だったら、もしイチコが病気になっても充分なことをしてあげられない。
誰でもいいから結婚した方がいいのだろうか。
でも、したくない。
今の会社が私を定年まで雇ってくれるとは思えない。
そしたら私はどうしたらいいの。
今から何か手に職をつけた方がいいのだろうか。
いやそれよりやっぱり結婚しなきゃいけないの?
その頃私はいつも人と自分を比べていた。
そして誰と比べても、自分の方が劣っていると思った。
誰を見ても、その人の親が生きているのかどうかが気になった。
親を失った人を見れば、かたっぱしからどのくらいで元気になれたかを聞きまくった。
家に帰れば父の遺影の前で何本も何本も線香ばかりあげ、イチコや美幸ちゃんに「いつになったら元気になれると思うか」としつこく付きまとっていた。
仕事も手につかないのだが、休みの日もつらかった。
家で一人でいると閉塞感で押しつぶされる。
あてもなくどこまでも歩いてみたり、用事もないのに電車に乗ってみたり、誰かれなく「お父さんが死んで悲しい」と訴えたりした。
トオルともブラックボトムとも、もう逢えないような気がしていた。
何を見ても、何を聞いてもつらいばかりだったその頃、私が一番恐れていたことは、トオルやブラックボトムに逢っても楽しくなかったらどうしようということだった。
1日も早く「心から笑う」ことを思い出したかった。
そんな私に対して周りの人はあまりにも優しかった。
ふだん私が嫌っていた人までが私のことを心配してくれて、今まで本当にごめんなさいというカンジであった。
仕事が手につかなくて何もできなかったとき、当時の私の年下の上司は「誰でも調子が悪いときはあるから、そんなときは僕たちに甘えてくれたらいいですよ。そういうときのために職場の仲間がいて、助け合うように出来ているんだから」と言ってくれた。
とてもありがたかった。
私が元気になったらそのときは恩返しにみんなを助けてあげようと思った。
それから私は周りの人に甘えまくった。
甘えてはいけないと気を張っていつまでも苦しんでいるよりも、周りの人に甘えてでも私が早く元気になることが、周りの人のためにもなると思った。
本当に苦しいのは1ヶ月ぐらいだった。
一日一日薄皮を剥ぐように元気になっていき、今の私は誰と比べてもちょっと負けないぐらい幸せである。
父の葬儀のとき、みんなが言っていた父の長所は
「面倒見がよく、たとえ自分はなくても人のために何かしてあげたいという人だった」ということだった。
それはイチコがよく私と父の共通点としてあげるところである。
父から受け継いだ長所を伸ばすことが、父が死後も生きつづけるということになるのではないかと思う父の一周忌であった。
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